湖南「比叡山」
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左=八王子宮と三ノ宮  右=導水路をくぐって亀堂へ
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左=相輪棠(正しくは「木」偏に「棠」)  右=慈忍和尚廟
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玉体杉で
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 京都の西方に住んでいるせいか、愛宕山は何がしかの思いを込めて眺めているが、比叡山は気にかけたことがなかった。多くの名僧のことが分かりにくく、苦手だったこともある。それが、五木寛之の新聞連載小説「親鸞」を読み、比叡山への思いが変わった。回峰行の道を歩きたくなった。
 ガイドブックなど、一般的に紹介されているのは無動寺谷の道である。今回は竹内さんに飯室谷回峰行の道を案内してもらった。この道はアップダウンが多く、飯室谷から日吉大社を経て山中を回り、飯室谷に戻ってくる総距離は40km近いといわれている。私たちは無動寺の相応和尚廟には行かなかったが、修行の道をほぼ95%、9時間近くかけて歩いた。
 日吉大社の牛尾宮と三ノ宮に立ち寄り、間にある金大巌(こがねのおおいわ)に今日の安全を祈った。神宮寺跡から細い道を下り、大宮谷を渡って登り着いた所は亀塔だった。
 慈覚大師御廟は、ブナやモミ・ツガの大木に囲まれた静かな山中にあった。いろんな御廟の中で一番良い場所ではないかと思った。
 観光客で賑わう根本中堂から無動寺の明王堂と弁天堂に下り、行者道を登ってドライブウェイを横切り大比叡に登る尾根で昼食とした。林の中で眺望はないが、爽やかな風が心地良かった。
 そこから浄土院、椿堂、転法輪堂と進んだ。玉体杉に向かう途中に弥勒の石仏と相輪棠(正しくは「木」偏に「棠」)があった。この石仏は比叡山でもっとも古いものらしい。クリンソウは、塔の九輪(相輪)に形が似ているので付けられたという。
 玉体杉から京都市が近くに見えた。国家の安泰を祈願するのを忘れたが、記念撮影をして横川に向かった。
 竹内さんにずっと解説してもらってきたが、なかでも横川まで一町ごとにある標石について、元三大師道の「掃除場」の説明がとても興味深かった。
 この日は、横川の元三大師一千二十五年遠忌法要で、酒井大阿闍梨の護摩供が催されていた。酒井大阿闍梨はファンが多く、横川は参拝者と観光客で賑わっていた。元三大師御廟は扉が開かれ、花と蝋燭が供えられていた。
 横川から林道を歩き、恵心僧都墓から栢ノ木坂を下って、大きな杉の参道があるスピリチュアルな雰囲気の慈忍和尚廟に出た。この坂道はあまり歩かれていないようで静かだった。飯室奈良坂を通り、竹内さん宅で一息ついた。それでも、日吉大社はとても遠くに感じた。坂本では、もう彼岸花が咲いていた。
 回峰行者はこれを千日するらしい。一日でも歩き通した充実感は格別で、比叡山がまた一歩近くに感じられるようになった。(田代 記)

・日 程=9月6日
・コース=日吉大社東本宮(8:25)〜金大巌(8:40)〜神宮寺跡(9:00)〜亀堂(9:55〜10:30 慈覚大師御廟往復)〜
     東塔(10:45〜11:00)〜明王堂(11:25〜11:30)〜智証大師御廟(12:30〜13:00)〜玉体杉(14:20〜14:45)〜
     横川駐車場(15:25〜15:35)〜元三大師御廟(15:50)〜慈忍和尚廟(17:00)〜奈良坂登り口(17:20)〜
     日吉大社東本宮〜駐車場(18:00)
・リーダー=田代妙子/アシスタントリーダー=竹内康之
・参加者=6名
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