赤石山系「大座礼山」(主催=ぶなクラブ)
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左=旧別子銅山(小学校跡・劇場跡)  右=銅山越から東山方面を望む
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ブナの巨木の測定
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大座礼山から三ツ森山の眺望
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左=登山口から県境尾根へ  右=大座礼山山頂にて記念撮影
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 11月7日 旧別子銅山跡
 高速道路を降りた車は、新居浜市の別子山と新居浜にまたがる旧別子銅山跡地に向かう。ここは江戸時代に開坑され、昭和48年の閉山まで日本の代表的銅山のひとつで住友財閥の礎となり、全盛期の明治時代は人口一万人を擁した鉱山であると言われている。
 その廃虚は、標高約820mの日浦登山口から標高1,214mの銅山越までを指し、今は住友鉱山の手で遺跡の保存と元の自然の山に返す試みが着実に進められおり、よく整備された遊歩道で廃虚跡を巡ることができる。
 落葉の始まった足谷川沿いの登山口を進むと、銅山越までのルート沿いに鉱山街跡や小学校跡、測候所跡、劇場跡、歓喜坑など、各所の遺跡に写真入りの説明版が設置されている。また説明板によると、百貨店から饅頭屋にいたるまでこの山深い山中に設置されていたことに驚かされる。そこかしこに、往時を偲ぶ石積みの擁壁などが数多く残されていて、隆盛を極めた姿を思い起しながら感慨深く登山口に戻った。
 ・コース=日浦登山口(12:48)〜銅山越(14:20〜14:35)〜日浦登山口(15:50)

 11月8日 大座礼山(おおざれやま)標高1.588m
 朝早く、宿泊先の筏津山荘を出発。県道6号高知伊予三島線に入り、太田尾越を過ぎた所で駐車。ここから登山口に向かう。
 大座礼山は高知県大川村の四国のほぼ中央部に位置し、樹齢300年から600年といわれるブナの巨木が見られることで有名。今回はそのブナを目的に加来リーダーが例会を企画された。
 登山口から大北川源流への沢沿いに、自然林の落葉しつつある登山道を何度か渡渉を繰返し登って行く。やがて、県境尾根の井野川越に到着。ここから稜線沿いに山頂に向かう。ほどなくお目当てのブナの巨木が点在し、さすがにその大きさと数の多さにに圧倒される。目の高さぐらいの幹周りは4m以上で 周囲に枝を大きく広げている姿は幾星霜に耐えてきた風格を感じさせる。樹間からは大座礼山の山頂も姿を見せ、わずかの急登で山頂に到着する。二等三角点、見晴らしは良く青空のもと大休止となる。
 下山は往路を引き返すのが通常だが、三ツ森山への縦走路から県境分岐を経て太田尾越に下山しようとリーダーの決断。分岐からの下山はリョウブと背丈以上の笹原をかき分けての急降下。境界杭を頼りに踏み跡を丹念にたどり、最後まで笹と格闘しながら無事太田尾越に下山した。
 ・コース=県道6号線(7:40)〜登山口(7:43)〜大北川源流(8:25)〜県界尾根・井野川越(8:55)〜
      大座礼山(9:35〜9:55)〜県界尾根・太田尾峠分岐(10:12)〜太田尾越(11:30)(荒木 記)

・日 程=11月7日〜8日
・リーダー=加来繁幸/アシスタント=荒木邦夫
・参加者=22名
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