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初(はっ)ちゃんの世界紀行――吉田初枝
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ジョージア国への旅 〔2016.11.12~12.01〕
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 コーカサス3国、アジェルバイジャン、アルメニア、ジョージアの国は日本人にとって、余り馴染みのない国です。その中のジョージア国を訪ねようとする。3か国をと思うけど、ゆっくりと旅をするがモットーなので、ビザの要らないジョージア国だけとした。ロシア読みでグルジア、英語読みではジョージアと読む。幾度もの他民族支配を受け、特にロシアの長き圧政には、嫌気を成し、国民の間では既に、ジョージアと言っていたらしい。1991年に独立してからは、共和制政治を行っている。
 ジョージア国の面積は日本の5分の1、北にはコーカサス山脈、南にはメスヘテイ山脈に挟まれた国土、西は黒海に面し、日本と同じように四季が有り、ジョージア正教(キリスト教の一つの派)を信仰し、古き伝統文化を守り、ゆっくりの経済発展を望んでいると思います。温暖な気候を利用したワインが、この国が発祥の地であると言う事は、初めて知りました。8000年以上前の遺跡より、ワインの醸造跡が残っているらしい。肥沃な大地は、豊富な野菜や果物、乳製品、蜂蜜を生み、長寿国とも知られている。ソビエト連邦のスターリンの出身地でもあり、プーチン大統領も生まれはジョージア国で、余りにも優秀であったがために、両親が請われるままに、ロシアに養子に出したらしい。
 バックパッカーさん達の噂によれば、安全で人々は優しく、食事は美味しく物価は安く、美しい大自然が待ち受けているそうだ。勿論ワインはピカイチだと聞いた。かねがね行きたいと望んでいて、山の友達二人と、関空よりトルコ航空で、イスタンプールにトランジィットして、次の朝には首都トビリシに着く。最初日の宿は、予約を入れているので、バスで50分、メトロ(地下鉄)アヴラバリ駅の近くと思い込んでいたところが間違いで、慌てて地元の人に聞いて、予約のホテルに辿り着く。午前中なのにチェックインさせてくれる。慣れねばならないメトロは直ぐ近くにあり、スーパーも小さな雑貨店も有りの、便利な所のようです。未だ観光化に遅い歩みのこの国は、英語は通じない。ロシア語ならと言われても、チンプンカンプン、スパシーバ〈ありがとう〉これだけです。メトロ、列車の切符を買うのも、何処で買うのか、から始まり、特に列車の予約には手間取るばかりでした。
 メトロでトビリシ市内の観光をしようと思う。メトロは薄暗くエスカレーターが深く、まるで奈落の底に落ちていくように、ゆっくりと進む。地下鉄は走れば凄い騒音、出入り口には貧しい老人たちが座り、前に空き缶を置いて居る。走る電車の中にも、子供がもっと小さな幼児の手を引いて、大声で叫び何かのお恵みをと、言っているのでしょう、多分難民なのでしょうか。野犬も野ネコも多く見られます、貧しい国のようです。

  トビリシ→ムツヘタ
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左=スヴェティ・ツボヴェリ大聖堂     中央=ジュヴァㇼ聖堂    右=ムツヘタの市内 ジュヴァリ聖堂より

 宿は高級ではなく並以下でしょうか?メトロに近く、慣れればとても便利。何時でも熱いお湯がポットにあり、コーヒーでもお茶でもどうぞ。朝食もマー普通です。今日は世界遺産の一つ、旧首都のムツヘタを目指す。メトロでデドウベ駅よりのミニバス(マルシルートカ)は字が読めずに迷うが、直ぐに何方かが助けてくれる。熱々のパンとミカンを買って、リックに入れてムツヘタに向かう。40分位かかったかな?到着すれば、道は直通でスベテイ・ツホベリ大聖堂に着く。凛々しく堂々とした建物で、ジョージア最古の聖堂。多くの歴史的な事実が有り、破壊と再建の繰り返し。内部の天井の高さには吃驚する。其の天井から淡い自然光が射しこみ、壁に描かれたフレスコ画を、浮かび上がらせている。人々は熱心に祈りを捧げています。此処のキリスト教は、キリシャ正教に属するのでしょう、イコン画が飾られていて、十字の切り方や、祭壇の飾り方の違いが有る。庭も広く春の花の咲くころは、さぞかし美しいことなのでしょう。聖堂の周りは、しっかりとした塀で囲まれている。矢張り外敵を意識して、造られている。
 丘の上の頂上に小さな教会が見える。歩いてでも行けそうですが、膝を痛めてから、完治していないので自信がない。タクシーに頼むと、快く引き受けてくれる。15分位で教会の下の道に着く。デコボコ道を登っていくと、素朴な造りの教会が、ひっそりと建っている。ここがジュバリ聖堂という。内部の装飾が少なく、人々の生活に寄り添った教会は、華美な装飾より、味わい深いと思います。丘の上からの景色は、ムツヘタ市内が、川の蛇行に沿って、建てられているのが見渡され、その広がりがとても美しい。出入り口には肥ったお婆さん達が″ヘルプミー“とか”マネー“と言っては観光客に手を出している。丘の上まで歩いてくるのは大変なのに、此処に毎日通勤の、お馴染みさんなのでしょう。悲壮感は無く、むしろ楽しんでいる雰囲気です。タクシー運転手さんがサンパウロの教会にも”おまけ”で連れて行って呉れました。帰りのバス停を聞いたアジェルバイジャンからの御夫婦が、バス停を教えて下さり、メトロまでを一緒して、切符の買い方をも説明してくれて、大助かりでした。持っていた日本の箱入りのキャラメルを差し上げると、上思議そうに眺め、とても喜んでいました。
  トビリシにて
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左=メヒテ教会     右=ナリカラ要塞

 宿からの近くを散歩しよう。旧市内なので、昔からの家が多く、メンテナンスがなされていないので、朽ちかけたままでも、住んでいるようです。ペルシャ風のバルコニーが古き家々に有り、ヨーロッパとアジア文化の雰囲気が、入り混じっているのだと感じる。トルコから流れてくる、ムトウクバリ川の流域に沿って、開けた町なので斜面が多い。その川の切り立った断崖の上に、メヒテ教会が建っていて、境内にはトビリシの過っての王、ワクタング・ゴルガサリが、馬上の姿よろしく大きな銅像が有る。地元の人々は敬虔なる祈りの場として、厳かに祈りを捧げています。結婚式が終わったカップルが、晴やかに親族や友人に囲まれて写真を撮っている。純白のウエデングドレスに、身を包んだ花嫁さんは何処で見ても美しい、人生最高の時を、フラッシュを浴びて、ポーズを決めている。
 私達はロープウエイから、旧市街を眺めようと、対岸の山の上の聖ニコラス教会までの、絶景を楽しむ。ナリカラ要塞も其の全体が、はっきりと見えます。国土が連なっていては、古代から民族的な争いの絶えないこの地は、どうにかして敵の侵入を食い止めるべきと、為政者は何時も頭を悩ましていた事でしょう。堅牢な要塞も必要であったに違いない。宿の帰りには地元に人気のレストランへと行き、いつもお客で一杯なので、時間をずらして早めの夕食。この国の吊物ヒンカリ〈小籠包に似ている〉を戴きましたが、皮が硬かった、これはもう止めておこうかな。
  トビリシの市内見物
 朝の食事は極一般的、乳製品が多く特にチィーズが美味しい。私は相棒さんが食べ終わったら、残りを集めて、外でヨロヨロしている野良犬にあげます。でも一緒に旅する人に、嫌がられたことも在るが、この寒空に食べ物を求めてうろつく犬が、一時でも一口でも、お腹を満たして呉れればよいと言う考えには、何方にでも通用しない事も覚悟しています。
 メトロ(一回20円)アヴァラバリ駅は宿の近くで便利、朝は通勤客が大勢、人々の朊装は黒色が多い。地下鉄はまるで葬式の行列、その表情は暗い。照明のせいなのかな、寒いからかな、わからない。今朝どんよりと曇り、昨日とは打って変わり、風も強く吹いている。トビリシ一番の繁華街ルスタヴェリ通りを歩いてみましょう。バラ革命広場より、近代美術館、バレー劇場と、ムトラヴェリ川に沿って、大道は続く、此処にも物を乞う人が、空き缶前に座っています。政府の年金対策は、老齢者への保護政策は為されているのでしょうか。途中大きな骨董市が開かれていて、各家庭の上用品を持ち寄り、並べて売っているようです。道路沿いには絵画のマーケットも在りますが、買っている人の姿は有りません。立派なビルも多いです、ブランド物や老舗も有りますが、近寄りがたい雰囲気が有ります。一歩わき道に入ればソ連時代の、規格的な堅苦しい古いアパートも在る。国立博物館は、この国の歴史が克明に分かりやすく説明をしています。ソ連時代の殺戮や銃殺の様子を、テレビで放映しています。よくもこんな当時のフィルムが、残っていたことだと驚いた。多分日本では、こんなにも残酷な場面を、放映すれば、問題になる事でしょうが、真実は国民に知らせるべきだと思います。自由広場は大道が入り混んでカーブしている。吊前からしてソ連からの独立の喜びを表している。旧市街には温泉街が有ります。丸い屋根を持った浴場が並んでいて、硫黄の匂いが漂っている。時間が有れば入浴したいと思いますが、今日は場所を確認しただけです。雨が降って来たので、急いで宿に帰る
     トビリシ→スグデイデイ→メステイア
 昨夜は何という馬鹿な事をしたのだろう、とんだ失敗をした。トルコで現地時間を合せていたのに、ジョージアでは、ローカルタイムが1時間早まるのを忘れていた。夜行列車を予約して、早めに駅に行ったのに、もう出発していた。直ぐに次の日の早朝の列車に変更してもらう。宿に帰りその旨を話す。次の朝、スグデイデイ行に乗る。パスポートチェックは有るが、意外にも清潔な列車、席番も有りの快適な乗り心地。窓の外は冬枯れの淋しい味気ない風景が続く、廃屋のような小さな家がポツポツとあり、人は見当たらず、この寒い空の下、牛達が沢山放牧されて、枯れ樹々の下草を食んでいる。風が強く木樹が激しく揺れている。遠くに雪をかぶったコーカサスの山脈が、長く続くと思うと、スグデイデイに到着しました。列車は8時間位掛かったかな。そこから又バスに乗り換えなければならない。  メステイアまでは4~5時間かかるそうです。車をチャターするかミニバスかと迷っていると、バス乗り場まで、送ってくれる人が居て、待ち時間がたっぷりで、10人ほど乗客が無ければ、動かないのです。1時間位待ってやっと出発する。気の長い話で、日本人には到底考えられないですけど、此処はジョージア国、仕方がない事です。昔メステイアは秘境であったらしく、交通の便が無く、行くことが容易ではなかったらしい。今では独特な民族のスヴァン人の風俗や習慣、言語が珍しく、ヨーロッパの人々の観光客が、少しずつ増えているらしい。12,1,2,3月はスキー場として、此処は賑わうそうです。バスに乗って来るのは地元の人で、皆知り合いのようです。大声で話し、肩をたたき合い、会えた喜びを表しています。男の人達は鼻の辺りが赤い人が多く、きっと強いお酒を常習的に飲んでいるので、酒焼けをしている。そして何だか臭いがする。途中トイレ、タバコ休憩有り、放牧の牛様や羊たちの御通りに逢う。バスはノロノロと進んでいく。バスの中で或る人が、“美味しいお茶だよ″と勧めてくれるので、断わり難くなって、一口飲めば、すごく強いお酒です。喉がヒリヒリするし、涙と咳が出る、だまされた。日本人のお婆さんを標的にして、楽しんでいるのかしら。バスの中ではブドウから作る”チャチャ”という地酒の回し飲みをして、運転手さんも大いに気勢を上げている。飲酒運転なのですけど、知り合いに荷物を届けたり、話し込んだり、暗くなっているのに、細い山道をスピード上げて、お酒の勢いで走ります。ヘヤーピンカーヴも警笛はならさず、対向車が有れば、一巻の終りです。もうどうにでもなれと、心に決めて居ました。宿は決めてないと言うと、知り合いの宿を紹介してくれる。道がアイスバーンになっている、滑りそうで怖い歩きでした。秘境は暗くなって着いたので、何も見えない。明日を楽しみに休みましょう。

  メステイアにて
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左=メスティア(復讐の塔)     中央=メスティア(他の村)    右=メスティア スキー場から

  宿は普通の清潔さ、毛布カバーがついてないので、誰かが使って其の儘と思う。私は今回、とても小さくなる、シュラフの中のインナーシュラフを、持って来ているので、そのことは正解でした。山の奥地でも、熱いシャワーが、勢い良く出るのは有難い。夜中に見えた真ん前の教会も、ネオンで飾られている。停電の上安は無いらしい。朝食事にこの宿の女主人が“貴方達はとってもラッキーね、2,3日前大雪で、大変だった。”そういえば山は雪が残り、道路は氷っているし、各家の屋根から氷柱がぶら下がっている。雪が解けだした所は、泥だらけの道も在る。此処はロシアに近く標高1500m、他民族が攻めてくることを怖れ、自分の家族を守るために、各家には必ず石造りの塔が有る。”復讐の塔”と呼ばれているらしい。眼には眼をと言う気持ちの如く、自分の家、家族を守るには、この塔に籠城するしか、手はなかったのでしょうか。敵が攻めてきた際には、高い所にしか入り口は無いので、はしごを掛けて登り、家族や家畜まで入れて、そのはしごを外し、上から石を落として対抗したらしい。こんな原始的な方法を、当時のスヴァンの人々は考え、他民族に恐れを抱いていた事は、此れだけの塔を造った証明なのでしょうか。今、この塔がスヴァネチア地方を代表する観光の目玉となり、地元のスヴァン人の末裔達の、収入源となる。もう直ぐスキー場となり、賑わいを見せるでしょう。滑りやすい道路には、牛さん達が団体で散歩をしている、朝のトッレキングかな。人間様よりも地図が頭に入っているのか、一回りして飼い主の元に帰るのでしょう。牛のプレゼントが落ちているし、アイスバーンの道を注意して、ノロノロの歩きは、牛さん達に笑われている。或る家の老人が手招きをするのでお邪魔すると、其処にも大きな“塔”があり、牛舎には、多くの牛達が餌を貰っている、大切に飼育しています。二階が民宿になっていて、泊まって欲しいだった。私達が泊まっている女主人が、とても優しく穏やかな性格らしい、その笑顔に魅せられて、居座る事にしました。  スキー場のリフトで山に登れば、360°が見渡せそうだと、観光案内所前に屯しているドライバーさんの誘いにokをする。リフト前まで行くのが大変です。スタッドレスタイヤでなければ、此の細く、くねった雪道の登りは出来ないでしょう。彼曰く、日本製は燃費が良いし、故障が無くベストだと言ってくれる。そう言ってくれれば、嬉しくなるのが人情です。人ひとりも居ないリフトを、私達のために動かしてくれる。頂上ではメステイア村の塔が沢山見える、もう一つの村をも遠望できる、まるで水墨画のように美しい。コーカサス山脈がロシアとの雪の国境線となっている。リフトの終点にはぐるーと周囲を見渡される、コーヒーショップがある。真正面に登山家には難易度が高いと言われている、ウシペ山を眺めながら、ゆっくりとした時間が流れる。此の美しいしい景色を眺める幸に恵まれての有難さを、誰に感謝しましょうか、健康と家族の理解が、私に自由旅を与えて呉れている。改めて家族の有難さを思います。  宿への帰路、博物館に行く。田舎にはそぐわない位の、近代的な新しい建物です、観光化するのを待っているようです。もう少し欲を出せば、もっと奥地のウシュグリに行けるのですが、近頃は其の欲が亡くなり、ある程度の所で満足するようになりました。

  メステイア→タクシン
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左=バグラティ大聖堂     右=ゲラティ修道院内部のフレスコ画

 宿の女主人は、何時も居間に、蒔きのストーヴを焚いて、暖かくしてくれている、何となく蒔きの匂いが、懐かしい故郷の香りを漂わしている。朝食は何種類もの御馳走を提供して下さる。きっとピーク時には、人気の宿なのでしょう。ジョージアは未だ観光ずれしていないので、英語を話す人は少ないけど、そこは何とか身体で表現すれば、通じるものです。心残りは有るが今日はタクシンに行こう。
 バスの出発は8時、チケット売りの小母さんは、ストーヴを指さして、温まって居なさいと。バスには何時も地元の知り合いが集まり、大きな荷物と一緒に、乗り込んでくる。バスの天井に子羊を箱に入れて、括りつけている。又しても今にも山側の崖が、崩れそうな山道を、ヘヤーピンカーヴ連続の細道を、1度の休憩ありで、5時間程でタクシンに着く。私達だけが駅前の終点で降りる。風が強くここは寒い、メステイアの方がましだった。山道の恐怖で疲れました。早く宿を決めたい、ホットシャワーが有り、清潔ならば何処でも良い。
 タクシンの中心にミニバスで行く。小さな丘の上にあるバグラテイ大聖堂を目指そう。ジョージア吊物のチーズ入りパンを、眼の前で焼いてくれる、コーヒー店で戴いて、長い階段を登り、ユネスコの世界遺産の大聖堂も、過ってはオスマントルコ軍に襲撃された。現代は修復されているが、崩れ落ちたままの部分も残っていて、その対比が面白い。塀に登ればリオニ川に沿ったこの町が見下ろされる。
 市内に下って、バスでゲラテイ修道院に行く。バスに乗るお年寄りの乗り降りには、乗車口の人が、手を添えて、助けているのを見ると、此処の国もお年寄りには、優しく接して居るのだなと思えば、ホッとする。此処の修道院は長い間、学問の中心であった。内部は二つに分かれていて、聖堂には中世のフレスコ画が天井、壁、全ての建物の中を埋め尽くしています。これ程の見事なフレスコ画には、お目に掛かったことは、有りませんでした。修道院を建築した王様の墓は、人々が踏む度に想い出してほしい、王様の願いがあり、行き交う通路にありました。食事を作ったのであろう厨房が、竈とか大きな鍋も、残されていました。教会や聖堂、修道院の玄関前には、何時も物乞いのお年寄りが屯している。とても陽気な人達です。帰りはバスがなく、タクシーで帰りました。運転手さんから、もう一つのモッツアメタ修道院を誘われたけど、沢山見ても頭には残らないので、お断りをしました。庶民の市場を散策して、宿に帰りました。この晩は強風が吹き荒れました。
  タクシン→トビリシ
 タクシンは第2の首都と言われているらしいのに、寒くて騒々しい所でした。駅前に泊まったからでしょうか、でもゲラテイ修道院のフレスコ画は、とても印象的でした。今日はトビリシに帰ろうと思います。ジョージア国はワインの発祥の地とあるのに、ブドウ畑は何処なのと思っていたら、タクシンからの帰り道には、両サイドブドウ畑が続きます。今は冬眠時期、目立たず細い枝ばかりになって、熟睡しています。道路は牛達や羊が悠然と歩いています。時には寝ている牛もいて、偶には、事故も在るかも。こうして住宅地までを放浪すれば、釘やビニールを食べる牛がいて、病気に為る可能性が、有るのではないかと心配をする。私の生家は牧場でしたので、家族は放牧地に、食べてはいけないものを、取り除く作業をしていた事を、想い出します。運転手さんは牛を除け乍ら、進んでいきます。私達は地元のバスに乗るので、その地の生活の匂いを、少しかぐことが出来る。4時間30分掛かり、トビリシに帰り着く。慣れた宿は落ち着きます。今日はのんびりとしましょう、各自自由に過ごしましょう。
 私は温泉を思い出して、外は雪がちらちらですから、温まろうと、近くなので出かけて行く。此処は水着要らず、女湯と男湯に別れていて、入浴料は150円、入ってみると老女ばかり、すごく肥った人が多く、掛け湯をしています。此処では自分がスマートに見える。湯船は何となく気持ちが悪く、入りませんでしたが。矢張り温泉は、温まり方が違います。何時までも身体が暖かく、気持ちの良いものでした。
  トビリシ→テラヴィ
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左=トビリシの温泉     右=樹氷の林

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左=テラヴィ城壁     右=テラヴィ エレタレ2世

 私達はカズベキを計画していたのですが、宿の人達は昨日からの雪で、1m以上も積もっているので、もう少し天気を見計らって、行くべしとの忠告を受ける。其れならばテラヴィに変えよう。メトロでデドウベに行く、公共のバスは無く、タクシーを借り切らねばならない。5人程揃わねば出発しない。待っていた紳士は、辛抱できなくなって、どこかへ行ってしまった。私達だけで出発する。
 今日も朝から凄い寒さだなと思っていました。雪がちらちら降ってきました。此処もブドウ畑が、連なっています。段々と人家がなくなり、山に向かう、丘を幾つも越えたりして、真っ白い雪山の道に入ると、そこは全て樹氷の中、見渡せば遠くも近くも、真っ白な夢の世界。雲海も漂うファンタジックな景色に、怖さを忘れて、うっとりとします。この景色に出遭えただけでも、ここまで来た甲斐はあった。多分20K位は続いたでしょう。運転手さんは無表情の人で、“此処で写真を”とは言い出せない。運転技術は相当なもの、目的地に着くと、約束のお金を手にすると、ニコリともせずに去っていく。
 テラヴィの情報は何もないので、インフォメイションに駆け込むと、民宿を紹介して貰う。地図を頼りに、随分歩いて、やっとたどり着く。リタイヤー組の御夫婦が、空いている部屋を貸して、こずかい稼ぎを、しているのでしょう。大きな庭があり、家はそんなに広くはないが、古いけどしっかりしたお家、食堂の前の部屋が暖かいと、気を使ってくれた。ホームステイの感じです。屋敷内の別の建物には、祖先が作った、ワインの貯蔵庫が有り、大きな瓶が地下に埋められている。此処に埋められていると、地面を指さす。その隣には大きなシェパードが、小屋に入っていて、ガードマンをしている。各家庭も自分の庭で採れたブドウで、ワインを作るのは、昔からの習慣であったのでしょう。ジョージア国はワインの一大生産国で、大自然と歴史とは、切っても切れない国のようです。居間には大きな寝椅子、周りを書棚が囲み、多くの書物がある。現役は政治家とか、多分公務員だったのでしょう。奥さんはテレビを見ながら、ザクロをむいてジュースにする、ビタミンCだから飲みなさいと。
 まず観光と思うが、冬の間は博物館もお休み、途中に入った正教会はイコン画ばかり、この国の人々は信仰心篤く、イコン画に手を触れて、敬虔な祈りを捧げています。バトニス・ツイ要塞に囲まれた、カヘテイ王の居城であるお城も、修復工事が行われていて、入場は出来ませんでした。春にはこの城が、観光のメインになる事でしょう。城の前には、大きなエレクレ2世の騎馬像がある。どの町でも野良犬が多い。食べ物を求めて、さまよう犬を見るたびに、悲しくなります。
  テラヴィ→シグナギ
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左=ブテニンダ・ニノス修道院の中の教会     中央=テニンダ・ニノス修道院    右=アザラニ谷より テラヴィの町

 テラヴィの老夫婦の民宿では、家庭的なもてなしを受けました。昨日頼んでいたタクシーが約束時間10時きっちりとやって来てくれる。公共のバスは今運行していない。今日はシグナギに行く、ブドウ畑が続くと思うと、通る道路には、ワインロードと書かれている。又しても樹氷の中も通る。白い山脈を眺めながら、小型のパジェロは難無く走ります。2時間位走ったでしょうか、大きな城門をくぐると、其処がシグナギでした。昨日は雪で、今日はとても良い天気なので、眼に痛いほどです。溶けだした道がドロドロです。民宿もホテルも休みが多く、やっと営業中の宿を運転手さんが、捜してくれる。
 庭に羊が足を縛られて、横たわっている。羊は眼を開けているが、鳴き声一つあげず、何を考えているのだろう。もう直ぐ殺され、今晩のおかずになるのかも知れない。インフォメイションに行って、この町の地図と情報を提供して貰う。
 先ずは城壁の町と言われているらしく、町全体を城壁が囲み。石畳の坂道が多く、足音を響かせながらの観光、雪解け道を歩いて行くが、何処まで続くのやら、4、5Kも在るそうです。城壁に沿ってその前後に町が開けています。この国は何時も他国の侵略を怖れ、敵を意識して、城壁を造らねばならない、他国と隣あわせの地続きは、為政者にとり悩みの種は、尽きないであったのでしょう。
 宿の女将さんが薦めてくれたレストランで、ジョージアの吊物ハチャプリ(チーズとバター、卵が入った大きなパン)釜で焼いて、出来たては美味しい、コーヒーとの相性はとても良い。忘れられない美味しさです。公園の広場には、お年寄りが毛糸の手作りの物、小物等を売っている、此処にもザクロのジュース、蜂蜜、雑貨類もあった。野犬も沢山いて、人懐っこくて可愛いですが、如何することも出来ません。
 少し離れた所の山の頂に、テニンダ・ニノス修道院が有るそうだ。タクシーで行ってもらう、観光化された新しいタイプの修道院でした。その庭からアザラニ谷を見渡されて、とても雄大な景色でした。シギナギの広場に帰り博物館に行く。特別にビロスマニの作品展が開催されています。上遇の生涯を送った彼は、その独特な画風を持っている。暖かい家庭的で優しい心の持ち主の作品は、人の心を和ませる何かを、与えて呉れています。偶然ですが彼の作品を、見せて戴いて気持ちが落ち着きます。  とても寒い夜でしたが、ヒーターを入れて呉れるので、少しはましでした。昨夜は何かのパーテイがあったのでしょう。あの羊がさばかれて、シシカバブーになったのでしょう。庭でバーベキューをしていて、深夜まで匂いが立ち込めて居ました。
朝食は、昨夜の残り物を出していました。主婦感覚で、直ぐに分かりますから、其れには一際手は付けません。女主人は陽気ですが、狡いところも有りそうです。トビリシに帰りましょう。公共のバス乗り場に行くのですが、道が凍っていてオズオズと、坂道の歩きは怖い思いをしました。公共のバス料金はとても安い。トビリシ迄2時間〈300円〉途中、お客さんを拾っては進んでいきます。此処も両サイドブドウ畑ばかり。メトロに着けば、慣れたる道中、同じ宿に舞い戻る。
午後からシオニ大聖堂に向かう。日曜日の今日は凄い人、大勢がミサに訪れています、聖堂の中はごった返しています。此処はトビリシの中心的な教会です。教会の内部は巨大な広さで、4世紀にキリスト教を伝えた、聖ニノの十字架が有るそうです。厳かな雰囲気が有ります。ジョージア国民の信仰心には、感激をします。
トビリシの聖なる山、標高727mのムタツミンダ山にはケーブルが有り、頂上まで行けるらしい。見る限り、大きなアンテナが有り、無線の中継基地になっているようです。地図を読みながら1時間位掛かったかな、色んな店を巡り乍ら、ケーブル乗り場に行く。比叡山のケーブル位かな、頂上に着くと、其処は遊園地になっている。寒いので今は子供の姿は無く、結婚式場がすぐ隣にあって、結婚式が行われている。山頂からのトビリシの町が、鮮やかに見渡される。歩き疲れたので、タクシーで宿に帰りました。
  トビリシにて、グダウリに行く
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左=シオニ大聖堂     右=教会の内部 イコン画

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左=グダウリ コーカサス山脈     右=コーカサス山脈 展望台より

 トビリシに帰り、何となくほっとした気持ちです。何時もの宿は落ち着けるし、慣れる事とは、人に優しく安心を届けて呉れます。スチーム入りで、洗濯物を載せておけば、自然に乾いてくれます。従業員も言葉は通じなくとも、気持ちは通じますので、気持よく過ごせます。朝食が終わり、もう1度シオニ教会に行って見ると、今朝はガラーンとして、マイクで祈りの声が聞こえてくる、穏やかな気持ちになります。信者さんは、何を祈っているのでしょうか。生後1か月位の赤ちゃんが洗礼を受けているのを、何度か眼にしました。子供に自分の信仰を、押し付ける事にはならないだろうか、成人してから自分自身で、選ぶのが本当だと思う。人夫々の考えが有るので、何とも言えないと思います。
 この国はワインの店が多い、流石ワインと共に生活していると、言うのでしょうか。近くのワインのお店に入れば、凄い数のワインが並んでいます。係の人が丁寧に説明を、してくれますが、私は興味が無いので、ザクロのジャム、白ブドウのシロップ漬け等を求めました。300ドルをチェンジしたお金が、余っていますので、車1台チャターして、デラックスと行きましょう。本当はカズベキまで行きたいけど、2,3日前の雪で、そこまでは無理でしょうと言う話、とり敢えずグダウリまでを予約する。
 メステイナ出身のこの宿専属の運転手さんが、約束時間に来る。先日訪れたムツヘタを後にして、トビリシの水源ジンヴァリ湖を過ぎると、アナヌリア教会が見えてくる。立派な城壁に囲まれ、一方は湖に張り出し、美しい景色です。内部は質素な造りで、温かみのある教会です。もっと北へと車は進む。貧しい村が点々とある。荒々しく削られた山肌に雪が残っている。此処は軍用道路で、ロシアが圧政時、軍隊用に開発した道で、北部の町に険しく聳える、コーカサスの山脈を貫く、軍事的な意図があった。時折、牛や羊が悠然と渡っていくのは、この国の常の事。全てが覆い隠せる白銀の世界へと、近かずいていく。ヘヤーピンカーヴを幾つも越えると、スキーリゾートの町に着く。そこがグダウリだった。沢山のホテルやレストランが点在している。建築中のホテルも、幾つもある。もう少し進むと、巨大な壁画が見える。半円形のユニークな色彩の壁画でした。そこは展望台になっていて、コーカサス山脈の山々を、一望出来る。切り立った山々は、光を浴びて眩しく美しく輝く、大自然の特別な世界を、見せてくれる。忘れられない夢の世界でした。私みたいな者が、このような美しい大自然の素晴らしさに、お会いしていいのだろうかと、頭がボーとしてしまい、宿に帰りました。往復で5時間位掛かった。
        トビリシにて
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トビリシの宿の近く 戦いで破壊された教会

 この日で、ジョージアの旅は終ります。ショッピングでもと思い、繁華街に行って見るけど、さしたるものは無い。何の目的もなく、のんびりと気の向くままに歩くのは、旅にある時の最高の楽しみです。もう1度訪れてみたい国を挙げるなら、ジョージアと言うでしょう。此の国では、珍しく日本人に一人も会わなかった事です。旗の下、ワッペンを付けた日本のツアーの一団が、喋りながらゾロゾロと歩いているのを、どの国に行っても、見かけるものなのですが。もしまた行くとしたら、その時は初夏か秋が良いと思います。世界を100か国以上は旅をしていますが、こんなに魅力的な国は、ありませんでした。未だ観光化されていないので、交通の便は悪いかも知れませんが、私が訪れたのは冬だからでしょう。人々はとても誠実で優しく、他国での食事は合わないと諦めているのですが、ジョージアの食事は美味しいし、全ての物価が安い。そしてまだ手付かずの大自然が、雄大に残っている事です。山のトレッキングも出来るし、歴史も学べるし、治安は心配ないし、民宿なら庶民の生活を、垣間見ることもできる。趣味趣向の問題もありましょうが、旅をするその国の事情に、興味が有る旅人には、たまらない楽しみな国の一つです。想い出せば、ジョージアの旅で、巡り合ったその一つ、一つが、胸の奥に宝物のように残り、私の老後を豊かにしてくれると、信じています。元気である限りは、家族が許して呉れるなら、自由な旅を、続けるつもりです。多くの素晴らしい出来事を胸に、ジョージア国を後にしました。

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