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初(はっ)ちゃんの世界紀行――吉田初枝
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 ブルガリアとルーマニアの旅       〔2018.09.06〜2018.09.22〕
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 台風21号、北海道地震、関空の閉鎖、こんなに大変な時に、旅にでかけるとは心が重い。カタール航空は関空発ではなく、大阪空港より羽田からの出発が、最初からの計画だったのが幸いして、旅の始まりは悩むことは無かった。羽田で群馬の方と合流して3人となり、ドーハでトランジット、ブルガリアの首都ソフィアには、次の日の昼に到着する。初日は宿を予約していたので、ソフィアの旧友ヴォーリアさんは、待っていてくれた。
何時もと変わらぬあの優しい笑顔に出合う、お互いに自然と涙がこぼれ、喜びを分かち合う。永き彼女との交際は、歴史が有るので、ゆるぎない関係です。
 今までに何度ソフィアを訪れた事だろうか、ソフィアに入国して、マケドニア、セルビア、ギリシャ、トルコ、ハンガリーと、多くの国への足掛かりとして、彼女のアドバイスを受けて各国へと旅をした。彼女のアドバイスは、かつての一人旅には、どれだけ力強く勇気を貰った事かは、自分だけが知ることなのです。
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左=セルディカの遺跡(後方バーニアンモスク) 右=ヴォーリアさん(後方はアレクサンダル・ネフスキー寺院)
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 彼女の案内で旧市街を観光する。聖ネデリャ教会、ニコライロシア教会、聖ペトカ地下教会には遺跡の展示スペースが新しく設けられていました。シナゴーク、アレキサンダーネフスキー教会やモスクは、様々な宗教関係の建築物は民族の多様性を示している。大統領官邸と国会議事堂が有り、時間には衛兵の交代がある。何度も旧市街は観光をしているのですが、相棒さん達は初めてでしょうが、感心なさそうなので駆け足でした。ヴォーリアさん宅で夕食を御馳走になった。ご主人はセルビアのベオグラードに出張中、短い時間に手際よく、四人分の豪華な夕食を作って下さるのは、流石だと思いました。
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               ソフィアにて
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 泊まったホステルの部屋は三人部屋でしたが、家具は無く質素で静か、清潔でした。次の日には相棒さん達はホステルの催すツアーで、リラの僧院に行きました。私は二度訪れているので今回は失礼して、今日だけの別行動。ヴォーリアさんとの逢瀬を楽しもう。彼女が午前中は何処に行きたいかを尋ねられると、“市場“と答える。庶民の市場は、その国の生活が凝縮されています。高級ブランド街よりも、ソフィアの市民の生活が見たい。最初はフリーマーケット、青空市には、笑顔一杯の売り屋さん。早朝の採り立ての野菜は新鮮そのもの、キラキラと光輝いている。果物も日本と同じく、なし、アンズ、スイカ、黄色のメロン、バナナ、ブドウ等が並んでいます。乳製品の多さ、特にチーズは種類が多く珍しい物もある。肉類は塊で売られている、ハム、ソーセージ、サラミは家庭の手作り。矢張り魚は少ないのは、海に面してはいないからかもしれない。昔からある石造りの大きな建築物のセントラル・ハリのマーケットは、少し高級な品も有る。食料品や生活雑貨、土産物屋の各商店が数多く入っている。この国のバラの香水は世界的な輸出品である。毎年カザンラクの6月のバラ祭りは有名です。香水用のバラは観賞用のバラとは違い、背が低く薄いピンクか白いバラが、山々に一面に咲いていたことを、想い出します。バラの香りを主題としての、日常的な商品が沢山売られています。お土産に少しだけ買ってみました。お昼にはヴォーリアさんの妹宅で、ヴォーリアさんのお母さんと共に、ランチ・パーテイに招かれました。何年か前に訪れた家は、ヴィトシャ山の麓にある、多分冬には雪で大変ではないかしら。妹さんの息子さんの事で、ヴォーリアさんは大きな悩みを抱えている。息子さんは二度目の奥さんを連れて、パーテイにやって来る。妹さん宅には最初の奥さんがいて、幼い孫も居ます。お嫁さん二人が何でもない様に、振る舞う不思議さを眼にすると、私は腑に落ちない。パーテイは各自の手作りの料理を、持ち寄っての御馳走でした。特にヴォーリアさんのお母さんが作った、茄の中にチーズを入れて、フライにしたのが美味しかった。ヴォーリアさんのあの笑顔の下には、家族の苦悩が隠されているのは、家族愛の強いブルガリアの一面を、知らされました。心残りを胸に、又会う日を約束してお別れしました。
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               ソフィア→ヴェリコ・タルノヴォ
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 宿は朝、夕2食付ですが、夕食は粗末ですが、朝食はとても豪華でした。中央バスターミナルからのバスです。何とかバスに間に合うが、一番後部の席でした。首都は同じような形の建物が立ち並び、画一的で個性が無い建築物。直ぐに田舎の風景に変わる、両サイド小さな田舎村を過ぎて、牧草地に変わり、放牧された牛や羊が多い、畑のメインは食用か家畜用か分からないけど、ひまわりが黒い頭を下げて、収穫が近いのでしょうか、家畜用のトウモロコシが広大な広がりになっている。幾つもの山を越えて、タルノヴォに着く。何のアナウンスもなく、休憩地と思えば、其処が目的地でした。
 ブルガリアの最大の山脈バルカン山脈の東部にある、この国の最も人気のある観光地です。琴欧州の生まれ故郷でもある。ヤントラ川が蛇行する崖の上に築かれたこの地の風景は、自然が織成す四季折々の、様々な美しさは独特な味わいがある。人々は中世からの街並みを、自然と上手に合体させた表情を見せてくれる。今はこの町は道路工事が多く、中心地は道の掘り返し続き歩き難い。ソフィアの宿と同系の宿を予約して安心している。2泊するのでバスの長旅を癒すつもりで、今日はのんびりしましょう。
 メイン道には、レストランと土産物屋さんがその大半を占めています。矢張り此処はこの国随一の観光地。 特にチャルシャ道がとても楽しい、手仕事中心で小さな店が軒を連ねています、店が工房も兼ねているので、一生懸命に作っている姿を、見ているだけで興味津々。この宿も朝夕食付なのですが、さて夕食はどんな御馳走なのでしょうか。男性軍はワインに酔いしれています。猫さん親子が居て、宿泊客のアイドル、洗濯物も気兼ねなく干せて、クラーなしでも自然の風が、大きな窓から気持ち良く入って来る。
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               タルノヴォにて
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左=ツアレヴェッツの丘    右=ペルコ・タルノヴォの旧市街

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 山の中の宿だから、深夜は相当冷えました。簡単な朝食を済ませ、涼しい内にツアレヴェッツの丘に登りましょう。メインストリートから小高い丘の上に、白く聳える教会が見えます。8時開門と同時に、グネグネとした螺旋状の階段を登る。ブルガリアの帝国時代には、この丘全体が巨大な宮殿だった。オスマン軍に壊滅的に滅亡させられた。頂上まで登ると、ペルコ・タルノヴォの旧市街が広がる。教会の内部には、社会主義を表した暗い絵画が、壁一面に描かれています。昨日の日曜日には、音と光のショウがあったので、その後始末に、大勢の人達が大わらわです。私達が丘を下っていると、派手な帽子と喧しさで、中国人のツアーの団体さんが登って来る。朝早くで正解だったなー。
相棒さん達と、何も言わずとも、心は通じると思います。
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               近郊のアルバナシ
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 近くのもう一つの村アルバナシに、行こうとするが、中々タクシーがつかまらない。オスマン朝の時代に、税制上の優遇処置を受けたので、有利な商いに依って蓄財をもたらし、立派な我が家の建設が出来たらしい。古い御屋敷を文化遺産として残し、観光に役立てている。日本にもありがちなことです。古民家や教会が沢山あります、中でも一番の見どころは。大天使ミカエル・ガブリエル教会は礼拝室が、大きなドーム型になっていて、内部のフレスコ画が、壁一面に描かれて、全てが物語になっている。絢爛豪華さは驚くばかりでした。その村でレストランに立ち寄り、名物を戴きましたが、美味しいとは言えません。宿に帰る途中、相棒さん達は嬉しそうに、ワインを買っていました。ここでは試飲は無いようです。私はヨーグルトのアイスクリームを戴きました。
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               タルノヴォ→ルセ
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ヤントラ川の蛇行

ヤントラ川の崖の上から、何度覗き見ても、よくぞこんな地形を生かして、人々は住むところを造ったものだと感心する。またそこが後の世に、観光地になるとは知る余地もない。
宿の子猫達は今が一番かわいい時、皆さんに可愛がられていますが、早く親猫を避妊してあげないと、不幸な猫が増えるのに、注意したいが、要らぬお世話と言われそうです。宿の朝食はソフィアと比べると、粗末な事ですが、無いよりはましと思いましょう。早めにバスターミナルへ行くが、何だかとてもさびれた感じの処でした。永く待たされて、やっとブルガリアとルーマニアの国境近くの町、ルセ行きに乘車。町中を過ぎれば、森林が続き、飼料用のトウモロコシ畑が延々と。乳牛や羊の放牧も。今は収穫後の整地の為に、掘り起こされた黒土を、烏が追いかけっこ、虫を捜しているのでしょう。これから冬の作物は何を植えるのでしょうか。日本のように農作物を輸入に頼ったりせずに、自給自足は充分なようです。
ルセに到着する。遅いお昼を戴いて、宿を決めようとするも、バスケットの大きな大会が、明日有るそうで、何処の宿も満室が多い。タクシーのドレイバーさんの機転で、ドナウ川の近くの、経済的な宿に決める。ドナウ川沿いには、広々とした遊歩道が続きます。夕陽が落ちるのを見たいと思うのですが、夜8時ごろまでも明るいし、朝は遅い夜明けです。川沿いには釣り人も居ますが、水がきれいではない。多くの廃船もそのままに、嫌なにおいもする。川の下流には大型クレーンの、カマキリの足が沢山伸びている。中心街のスヴォボダ広場に通じる歩行者天国の繁華街には、沢山の近代的なお店があります。スーパーに寄って、各自の好みの物を買う。部屋についている湯沸かし器で、夕食を作ります。相棒さん達はビールやワインを、楽しんでいる様子です。
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               ルセ→ブカレスト→ブラショフ
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左=ブラショフの市庁舎    中央=ブラショフの黒の教会    右=ブラショフでの民族服
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 ブラショフまでは移動に時間が掛かりそうなので、早朝のタクシーを頼み、ルセのバス停に行く。朝早くでも店はオープンしています。捨てられたのか大きな犬が、ドカーリと寝そべっている。ルーマニアのブカレストは、出国時に2日程居るので、今日はブラショフ迄、行こうとする。国が違うので直通はない。ブカレストではバスを、乗り換えなければならない。ルセの国境では、ドライバーさんが、パスポートを預かり、スタンプを押して戻してくれる。どの国でも陸路の国境越えは、時間が掛かるのが常の事。でもここは意外と早かった。反対のルーマニアからブルガリアに、入国の大型トラックが長い列をなしている。ブカレスト行きの両サイドには、此処も同じく、ひまわりとトウモロコシの飼料用の畑が、延々と続きます、山が無いので地平線の彼方までも。
ブカレストに到着、直ぐにチェンジマネーに走る。バスターミナルは夫々の目的地により、場所が異なるので、其処に行くのが大変です。仕方がないのでタクシーを使い、バス停に行く。タクシーは評判が悪いので、出来るだけ止めようと思っていた。矢張りメーターを倒しても、降りてお金を払う時には、お釣りをくれない。荷物を乗せたので、荷物のお金だと言い張る。少し損をしたようだが、この国の恥を晒している。
ブラショフ行きのバスは、1時間遅れてやってくる。遅れに対して何のアナウンスも謝りもなく、これが普通なのでしょう。当たり前の習慣として、皆さんけろりとしています。矢張り農業国は何時もの風景が続きます。急に山岳地帯に入り、幾つもの山を越え、手に汗握る程、危険なるヘヤーピンカーヴの連続、それが終わればブラショフに到着する。
 中世の街並みを残す古都、ドイツの商人が建設したので、何となく重厚な、ドイツ的な建築物が多い。以前泊まった事のある、日本人経営の宿に泊まる。その当時より建物は大きくなって、隣にペンションも、ツアーの会社も経営している。そして以前の奥様ではなく、若い奥さんと幼い娘さん、2匹の犬が居ます。本人は相当老けこんでいましたので、何かの事情が有ったのでしょう、これまでの多くの苦難を想像します。
歩行者天国の賑やかな通リは、町の中心街のスファトウル広場には通じます。大きな噴水が勢いよく、迎えてくれます。観光客はその周りで一休み、民族服を着た人々が、愛嬌を振りまく。近くに巨大なゴシック建築の教会があります。ハプスブルグ軍により攻撃を受けて、外壁が黒焦げになったのを、今もそのままにして、黒の教会と呼ばれ、戦いの激しさを語っています。修理中で内部は見せてもらえなかった。最大級のパイプオルガンがあるそうです。宿からの行きはスムースでしたが帰路、道に迷いました。お互いを頼りにして、誰かが覚えて呉れているだろうと言う思い込みが、その原因でした。もっと曲がり角の特徴等を、頭に入れるべきでした。
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               ブラショフ滞在
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右=ブラン城     左=トウンバ山頂よりブラショフ 
 此処の朝食は別料金で、極普通でした。この宿のツアー会社の近郊の観光地を、車での案内を誘われるけど、私達は自分達で迷いながら行きたいので、はっきりとお断りしました。これが不愛想の原因なのでしょう。
ブラショフのメインは、吸血鬼ドラキュラの城として知られている、ブラン城なのです。バス乗り場から1時間程で着きました。入場券シニアーは半額でした。城の前はお土産屋さんと、レストランが犇めいている。ツアーのお客さんが多い。小高い丘の上に、勇ましく建っています。オスマン軍を見張るための、要塞の役目もしていた。ドイツ的にがっしりとしています。内部は天井が低く、くねくねした階段が多くて、敵を欺くために造られたので、私達も迷いそうです。沢山の部屋が有り、昔の儘の姿を温存している。必ず係の人が硬い顔して、見守って居ました。最上階からはパノラマ的に、周囲の風景を見せてくれます。私達は早めの観光だったので、観光客は未だ少なかった。帰りには入り口付近から、何百人のツアーの観光客が待っています。こんなに大勢があの狭い低い階段を、如何して通るのでしょうか、けが人が出なければいいけどと、心配になる。多分何時間も待つのでしょう。
 宿への帰路、南東に聳えるトウンバ山に、ロープウエイで登ります、頂上より少し歩けば、小さな展望台が有り、ブラショフの旧市街の街並みを望む。ヨーロッパにありがちな特徴は、屋根瓦の色や窓枠を統一していたり、とても洗練された美しさがある。相棒さん達は、教会やお城には興味が無いそうで、早くトウルチャのドナウ・クルーズに行きたいらしい。多数決には勝てない、シギショアラ行を諦めました。
                ブラショフ→ブカレスト→トウルチャ
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 又しても本日は長距離の移動日、待ち時間を入れても9時間は掛かりそう。ブラショフの日本人が経営している宿には、身びいきで安心感があるのだが、多くの事業を展開すれば、どこかに歪もでてきます。以前と比べれば、何となく気持ちのずれがある。
 ブカレストまで列車でバックする。線路が幹線道路と並行しているが、列車を見たことが無かった。駅に行けば、多くの本数が有る。3時間30分程掛かりました。ブカレストからトウルチャ行のバスターミナルを聞けども、何方も要領を得ない。3人は困った顔をしていたのでしょう、同年代の女性が一緒に歩いて、案内してくれました。結構遠いのに、何という有難さでしょう、困った時にこんなにも親切にして下さるとは、この旅一番の、有難く思い出深い出来事でした。
ミニバスに20人位で、満席になり出発する。又同じような風景が地平線まで続きます。農業だけは、日本が幾ら頑張っても、この国には追いつかないでしょう。時折、朽ちかけた大工場の残骸が残っています。共産時代の置き土産でしょう。人影は無く唯、平野が続きます。やっとトウルチャに着きました。
 トウルチャではレストランの上にある、ペンションに決めました。3人部屋が無く、個室を貰い気楽です。此の町はドナウ川の畔で、黒海に通じるドナウデルタの中に在り、古くから貿易港として栄えてきた。冬でも暖流の為か、此処は温暖な気候にあるらしい。ドナウ・クルーズを目的として来たのですが、移動に時間が掛かり疲れました。今晩は一人部屋です、ゆっくりと休みましょう。
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                    トウルチャにて
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右=トウルチャの船着き場(この船でクルーズしました) 左=ドナウクルーズ    
 ペンションの女主人は、しっかりした発音の英語を話し、気持のよい対応でした。親類の結婚式が有るそうで、昨晩はおめかしをして、華やかなドレスを着ていました。それがとても良くお似合いでした。
 ドナウ川はドイツで発祥して、ヨーロッパ8か国を巡り、その終りは黒海に注いでいる。此処がヨーロッパの最後の秘境とも呼ばれているらしい。ドナウデルタの玄関口、このトウルチャは広大な湿地地帯に、ドナウ川が多くの支流に分散して、その間を船が分け入り、多くの野生動物や、鳥達を見物させる観光船のクルーズです。川岸には大、小の観光船が時間のコースを分けて、看板を設置して、客引きをしています。価格は航路時間によって違いはあるが、大体同じでした。どの船も朝は10時に出航、まだ十分時間が有るので、近くの庶民の市場へと、おやつを買いに行く。出来たてホカホカのチーズ入りパンはとてもおいしい。新鮮な野菜や果物を求めて、大きな袋を持ち、買い物に来ています。どの国にても同じこと、地元の市場は活気がある、何だか心休まる気持ちがするのは、主婦であるからでしょうか。
 私達は4〜5時間コースを選び、息子さんと父親が、経営している船に決めた。お父さんが今回の船の船長さんです。市場で買ったランチとお茶をもって乗り込む。クルーズ料金は1000円位でした。乗船者は7名です、ドナウ川は茶色で濁った水です。川幅は広くなったり狭くなったりで、両サイド野生の柳もどきの林に、覆われて垂れ下がっている。釣り人がキャンプをして、川岸を占領して何本もの釣り糸をたれている。網を張りのもんどりをしているところも多く、船の行く手の邪魔になるのではないかな、争いの種になりそうです。スピ−ドをあげた小型の船が行きかえば、大波小波が押し寄せて、私達の船はゆらりゆらりと、ブランコに乗った気分。釣り人が手を振って応えてくれる。こんなにも釣り人が多いという事は、それだけ魚が多いと証明している。濁っている水には、プランクトンが沢山いるからでしょう。船を操る船長さんは、無数の支流も何のその、しっかりと見極めているようです。デルタの様々な地形を、見せてくれます。葦が一面に繁茂している所は、野鳥達の楽園、船長さんの指先には、ペリカンの群生、多くのサギや鴨はいますが、名も知らぬ鳥達の声ばかり聞こえます。沼地や丘、湖には野生動物が沢山いるそうですが、昼間には逢えませんでした。心地良い風と、青き空、大自然が織成すその不思議さ、湿地帯を利用して観光にして、共存する人々の暮らしぶりには、興味が尽きない。
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                    トウルチャ→コンスタンツア
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 近所の鶏の声、教会の鐘の音で起こされる。窓からのぞけば、冬は蒔きストーヴらしく、各家には大小の煙突あり、薪が沢山積んである。早朝から雨模様。昨日のクルーズは快晴で良かったナ。コンスタンツア行きもミニバスで、今回は両サイド、ブドウ畑が多い。ブドウの種類はお国柄から、ぶどう棚の高さや、絡め方が夫々です。此処は人の高さほどで、シンプルに絡めています。矢張り飼料用の、トウモロコシ畑は続いています。初夏には太陽の方を向いて、黄色のひまわりは、見事であったことでしょう。今は黒いおぼんになって、おじぎをしています。コンスタンツアに着いて、今回は少しデラックスなホテルに決めました。夫々がのんびりと過ごしましょうとなり、自分の時間を楽しみました。音楽を聞いたり、持ってきた本を読んだり、近くのマーケット、スーパーに行き、惣菜の材料を見たりする。野菜はキロ単位で売っています。乳製品は安く種類が多い。近くの個人の店はひっそりとしています。大きなスーパーにとって代わる時代の流れは、どの国でも同じなのでしょう。
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                    コンスタンツアにて
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右=コンスタンツア(黒海に面したカジノ)    左=トミス主教教会の内部    
私達にしてみたら少しだけデラックスなホテルですが、レセプションは義務的な態度、若い女性の接客が仕事なら、優しい笑顔で接してほしいと思います。観光業の根本の態度を、オーナーは教えることからの始まりなのにと思う。部屋は広い、幹線道路沿いにあるので、車の量は多い。道路の反対側にある駅に行くには、地下道が有るのに気がつかずに、危険な事をして渡っていました。次は公園の中を行けば、ハトのフンで道がヌルリーとするし、臭いが強烈。地下道に気がつくのが、2日経ってからで、遅かったです。この国は車多いが、その割には駐車場が少ないので住宅地では、道の両側に駐車している、道路が狭くなり、運転も歩きも危険が一杯です。早く何とか手を打つべきです。他国者がお節介をすべきではないのかな。
 今日は黒海の港湾都市コンスタンツアの、トミスに行くべくバスを捜す。タクシーはぼられる可能性があるので、バスに乗るが、2回ほど乗り換えて、その都度地元の人に聞いてやっと着きました。バスを降りた所から、随分歩いて黒海の海岸に到着しました。道路工事がされていたが、お構いなく進むと、海に面して大きな古いカジノが有りました。カジノと地元の人は言うけれども、博物館のように堅苦しい建築物で、今でも営業しているかどうか疑わしい。水族館は小さくて、建物に魚のモザイク模様があるのが可愛い。
 荒波が岸壁を打ちつけている、まるで此方へおいでと誘いかけるように。遙か遠くへと来たものだと感激する。此の海が如何して黒海なのかな、波の色は濃いグリーン色なのに。湾にはカマキリの足の様なクレーンが、ズラーと並んでいます。ルーマニア輸出入の大半がこの港から始まる。海岸から少し入れば、トミス主教教会の内部は絢爛豪華なイコン画が、壁の大半を占めている。その隣には古代ギリシャの住居跡、近くにはアフメード2世のモスクが、ひときわ高く聳えている。多くの民族がこの地を収め、その民族により宗教も夫々であったことを、物語っています。もう不用になったジェノヴァの灯台、慎ましく静かに海を見つめています。国民的詩人のミハイ・エネスクの像も有ります。
 トミス道うりは、大きなレストラン街、ヨーロッパでは何処の国でも、夫々のレストランが通りまで占領して、出店しています。土地使用税は払っているのでしょうか。帰りのバスを捜して、やっとコンスタンツア駅前に帰りました。沢山の観光をして疲れました。スーパーに寄って夕飯をテイクアウト。相棒さん達もきっとワインを買ったことでしょう。                    トウルチャ→コンスタンツア 近所の鶏の声、教会の鐘の音で起こされる。窓からのぞけば、冬は蒔きストーヴらしく、各家には大小の煙突あり、薪が沢山積んである。早朝から雨模様。昨日のクルーズは快晴で良かったナ。コンスタンツア行きもミニバスで、今回は両サイド、ブドウ畑が多い。ブドウの種類はお国柄から、ぶどう棚の高さや、絡め方が夫々です。此処は人の高さほどで、シンプルに絡めています。矢張り飼料用の、トウモロコシ畑は続いています。初夏には太陽の方を向いて、黄色のひまわりは、見事であったことでしょう。今は黒いおぼんになって、おじぎをしています。コンスタンツアに着いて、今回は少しデラックスなホテルに決めました。夫々がのんびりと過ごしましょうとなり、自分の時間を楽しみました。音楽を聞いたり、持ってきた本を読んだり、近くのマーケット、スーパーに行き、惣菜の材料を見たりする。野菜はキロ単位で売っています。乳製品は安く種類が多い。近くの個人の店はひっそりとしています。大きなスーパーにとって代わる時代の流れは、どの国でも同じなのでしょう。
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                    コンスタンツア→ブカレスト
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ブカレストの国民の館

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 昼間の日差しはとても強いが、木陰は涼しげな風が吹きます。コンスタンツアではのんびりさせてもらった。ブカレスト行の列車に乗る。指定番号は有るが座席の番号が不明、適当に座るも検査員は何も言わない。のんびりの車内は寛げる。両サイド日本の5,60年前の風景。鄙びた田舎村です。此処もブドウ畑ばかり、整然と植えられたのも、荒れ放題の畑も有りますが、工業地帯は無い。此処も農業が主なる土地らしい。
 3時間程でブカレスト・ノルド駅着、メトロに乗り換えて7番目の統一広場、予約した宿は薄汚い建物。パソコンでの評判が良く、台所付きが気に入って選んだのですが、ミスったかな。宿は旧市街のレストラン街にあるので便利と思うのですが、少し歩けば、呼び込みが凄い。1度位はレストランでと、意見が纏まり、戴いてみると、美味しくなく、料金は税、サービス料までついて以外に高い。メニューにサービス料までは書いていなかったと言えば、”伝統あるレストランでは当たり前の事“とかサービスも悪いのに。私達にはテイクアウトの方がまし、気分を損ねるレストランには入りたくない。
 ブカレストの中心街の統一広場には、巨大な噴水が有り、多くの人々車が行き交う何処にでもある中心地。暑さは容赦なく照り付ける。歩きは日陰を好んで歩く。相棒さん達は教会も博物館にも、興味もないみたいなのですが、このブカレストの一番の見物先は、故チャウシェスク大統領が、膨大な国費を浪費して、私欲を満たすために建築した“国民の館”です。地図を見ながら、地元の人に聞きながらの歩きは、決して楽ではありませんでしたが、楽をして目的地に着くのではなく、汗して迷ったのは、思い出に残るでしょう。高台にある巨大な宮殿は正に、私欲の象徴のような建築物。内部に入るには予約制で、ガイドがつくらしい。私達は外部の見物で満足する。正門前では、コンサートが行われるのでしょうか、天幕を張っていて通行止めが多い。国民の館の前の散歩道は、とても大きく立派です、もしかして航空の滑走路にでも、なるのではないかしら。噴水を中心に、木陰の並木道には、ホームレスがベンチに横たわり、様々なベンチが沢山あり、人々の憩いの場所でもある。
 以前ルーマニアの民主革命時、映像を通じてチャウシェスク大統領夫妻の銃殺場面や、民衆のデモの様子を、テレビで放映したことを想い出します。独裁政治から民主化へのドキュメントは、私達に大きな印象を与えて呉れました。一人旅の頃、銃殺の場所や、放送局は以前訪れたことが有ります。銃殺された壁に、赤いバラが挿してあったのが、とても印象に残っています。
 植物園に行く、もう花の季節は終り、夏の暑さで枯れているのも多く、係員の人達が総出で、手入れをしています。各自、時間と場所を決めて自由にしましょう。ブラブラと散策して回りました。出口に在った植物の博物館の、その膨大な展示物には驚きました。もっと時間を掛けてみたい思いもありましたが、夫々の思いもあるので、勝手な事は出来ません。帰路に寄ったスーパーも大規模でした。迷子になりそうでした。明日は日本へと出国です。日常品の少しのお土産を買いました。
 多分明日も快晴でしょう。旅に在る時の雨降り程、情けないことはない。今回は1度も傘は、必要ではありませんでした。乾期を選んで訪れているのですけど、お天道様のご機嫌次第と言う事もありでしょう。
 ブルガリアとルーマニアは、東ヨーロッパの中では、民主化に遅れた国で、さしたる企業もない昔の儘での農業国ですが、農作物もトルコなどからの、安い物の輸入で成り立たなくなり、都会に働きに出て行く家族たちも多く、田舎村には廃屋や荒れ地が多い。共産時代の長き歴史を物語る、赤さびた工場が、悲壮な姿を晒しています。私達が泊まったゲストハウスや中級のホテルには、親切とか優しさの心のおもてなしは無い。観光に力をいれるのであれば、先ずは従業員に、心の教育をすべきだと思いました。全てが良き想い出ばかりではないのですが、苦労があってこその旅と、思う気持ちがあるのです。
 木犀の香る我が家は、家族が守ってくれているので、安心して出かけられます。我が健康と家族の有難さには、これからの日々、美味しい物を作ってあげるしか、感謝の気持ちを表しようがありません。体力は少しずつ落ちて来ていますが、あともう少しだけ、旅を続ける事が、出来ますようにと祈るだけです。
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