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初(はっ)ちゃんの世界紀行――吉田初枝
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  ラオスの北部の旅 〔2019.04.01〜04.14〕
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 桜は三分咲き、期日前投票を終えて、関空より三人で、ラオスの首都ビエンチャンに向けて出発する。今回はヴェトナム航空で、狭い機内にブロイラーの如くに5時間程、ハノイでトランジィット、到着が遅れたり、急にゲートnoを変更したり、その指示をアナウンスせずに、不親切な態様だったが、その折に日本に30年住んでいる、ラオスの婦人と話す機会があり、久し振りの里帰りらしい。16人姉弟で、空港には3人の姉妹が迎えに来ていて、大きな車に乗せてもらい、宿まで送って下さった親切は、とても有難いことでした。ラオスに入国管理局に並んでいる時に、日本の方から、新元号は“令和”と知らされました。
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左=ワット・シーサケット 黄金の塔    中央=バトーサイ 戦死者慰霊の門    右=ナイトマーケット(衣類ばかり)

        ビエンチャンにて

 ラオスは本州と同じ位の面積で、その8割は山地で、タイ、ヴェトナム、中国、カンボジア,ミャンマーと国境を接している。多くの国と接しているが故の、幾多の戦の歴史はある。今回は北の田舎や、山岳の少数民族の村を訪れたい。以前はタイのノーンカイから、友好橋を渡り、其処でヴィザを得て、入国したが、現在はヴィザ不要となり、入国しやすい。
 昨夜は遅かったので、何も見ずに唯、眠るだけだった。三人共老人性早起きで、早朝近くのメコン川を、散歩に出かけます。此処は支流なのでしょうか、川岸には馬が放牧されています。仏教国なので、大通りには寺(ワット)が沢山あります。宿の近くにはワット・チャンタプリーが大きな敷地に、ドカッと在ります。一人の修行僧が、一枚の柿色の衣を、歩きながら着る手際の良さを 見ていると、朝早くも夫々の店が、開店準備に忙しそうです。
 今日は観光のメインを観るために、車をチャターする。約束時間10時が、10時40分のラオスタイム、遅れは当たり前、憮然とした態度、言葉通じぬ若者。写真を見せて行く場所を決定する。
 最初にワット・ホーバケオは庭の手入れが、とても丁寧に、美しい花が咲いていた。タイのバンコクで観たエメラルド仏が、此処に保管されていたが、1828年タイの侵略で持ち去られた。次はビエンチャンのシンボル的存在のタート・ルアン、黄金の塔は光り輝いています。毎年1度ルアン祭りには、国中の僧が集まり、仏教徒達の聖地として、盛大な祭りが行われる。交通の要所は混んでいてなかなか進めない。バトウーサイは中心地にあり、何度かを行き来する度に見ましたが、休めそうなので、休憩とする。此の門はパリの凱旋門を、模して建てられた、戦没者の慰霊の門。最後にシーサケットに行ってくれないのは、オーパケオの真ん前に在ったので、もう済んでいると思ったらしい。話が通じてない。何とか行くことは出来た。タラ―ト・サオの前で降ろしてもらう。
 此処は以前からあった古いモールです。日常生活に必要な物は、何でも売っていますが、2階に上がれば、ゴールドの店ばかりには驚きます。貯金をせずに金に換えて置くのです。ラオスの紙幣を信用していないと言う事は、国を疑っている事に為る。タイでも同じことが有りました。フードセンターで遅いお昼を戴きました。とても美味しいものでした。
 余り遅くならない内から、夜市の準備は始まります。衣類の店ばかり、初めから終わりの店まで往復すると疲れます。明日はバンビエンに向かいます。
 ラオスの紙幣は0が多いので、日本円に直して考える時には、0を3つ取って、13をかければよいが、慣れる頃には、出国でしょう。
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左=タム・チャン洞窟への階段    右=タム・チャン洞窟の内部

                  ビエンチャン→バンビエン

 小さなバスを避けて大型のバスにする。45人程での乗客、バスの上にも大きな荷物を乗せる。首都とルアンパバーンのルート上にあり、一気にルアンバパバーンに行くのは、勿体無い位景色が良いとか、中継地でもある。緑豊かな田舎町を次々と、北に向うにつれて、山や農地を切り開き、大型の宅地造成や工場を見る。全てが“中国・・・公司”と大きな看板が掲げている。中国資本で開発が行われている。ラオスまで触手を伸ばし、実権を握ろうとしているのではないかと、空恐ろしい気がします。山の中を進んでいくと、巨大な川が見えたと思ったら、其処がバンビエンでした。
 宿はリバーサイド・ビューホテル、看板に偽りありで、川には面していない、分かり難い宿でしたが、清潔でテラスからは、山の景色が一望できる。 此の町はナム・ソン川を中心に、自然のアクテイビテイが出来る。若者はカヤック、チュービング、トレッキングの旅行社も多く、貸自転車、バイクの店も。
 私達はツクツクで、タム・チャン洞窟に行く。ナム・ソン川沿いにあり、長い階段を登っていくと、自然の洞窟があります。内部は薄暗く、少しだけのライトアップで、鍾乳洞が様々な形容で、幻想的な美しさ、色んな道が有り、遅れない様に付いて行くのが精一杯で、道に迷いそうでした。中心街は昔風の雰囲気はありますが、観光化されつつ、コンビニもATMもあり、便利になって来ています。店員さんもスマートホンに夢中、お客さんが来ても知らん顔。
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左=バンビエンの朝市    右=バンビエンの山岳の風景

       バンビエン→ルアンパバーン

バンビエンの宿の前に、早朝から地元の人の朝市が、開かれています。川の魚(ナマズ、鯉、フナ、エビ等)カエル、蜂の子も自分の畑で採れた野菜、山菜、筍、ワラビ、ウド等が道路に敷物をひいて、上に並べられてあります。地元の朝のアルバイトかな。時折夕立の様な雨にも、慣れているようで、急きも慌てもせずに、止むのを待つ。 周囲の山は石灰岩なのでしょうか、長年の雨の浸食で、雪舟の絵のように、切り立ったシャープな形をしています。其処にガスが掛り、寸時に山容が変化します。三階のベランダから眺めていると、この地が大いに人気ありも、納得できます。朝の散歩で小川に仕切りを入れて、鶏とアヒルが放し飼いにされています。其処でアヒルが、鶏の生まれたての雛を、丸呑みして食べているのを見ると、信じられない驚きでした。飼い主は知っているのでしょうか。
ミニバンがルアンパバーン行の迎えに来る、山岳地帯を走るので、大型は遅くなる。時折オフロードだが、苦になるほどの悪路ではない。此処にも中国資本が、其処ら中に入っています。
山の斜面に、焼畑農業が今もなされています。其処にはもう新芽が出て来ています。バナナとパイナップルが多いように思います。
ルアンパバーンに到着しました。建築物は植民地時代の、フランス風の面影を残している家屋も有り、規制がかかっているのか、高層建築はありません。道路も整備され、街路樹のプルメリアの花の香りが、微かにしています。我々が泊まる宿は、こじんまりとして、女主人が優しくしっかりした発音の英語を話し、部屋も冷蔵庫ありの、清潔な三人部屋を貰いました。
サー市内の観光に出掛けましょう、宿の近くにワット・マイがあります。折り重なる屋根が見事な美しさ、大きな敷地に堂々と建っています。国立博物館に行きました。ラオスの王家の暮らしぶりを展示しています。チケットを求める時に、個人の荷物は庭の端にある、ロッカールームに預けることを、先に云わないので、入室で断られて引き返し、暑い日差しの中、不親切な対応に、往復する無駄をさせられました。レストランも沢山あり、観光客はとても多い。夕食が終わり、ナイトマーケットに、シーサワンウオン通リを規制して、歩行者天国となり、すごい数の露店が、道路一杯に広がります。テントの色が国旗の色、ブルーと赤とに統一されています。衣類、民族の小物、多種の果物をジュースにする店、土産物等、同じような店が、夫々の趣向を凝らしているが、果たして採算はとれているのでしょうか。或る路地は今晩のおかずや、食堂ばかりの店ばかり、今はやりのバイキングもある。どの通リでも旅行者が居る。とても人気のある街である事には違いない。
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左=ルアンパバーンの托鉢    右=ルアンパバーンの朝市

           ルアンパバーン→ノーンキアウ

早朝4時に起き、3人で5時から始まる、朝の托鉢の行列を観に行こう。決まった通りには、ゴザを広げ、その上に小さな椅子が並べてある。係員らしき人が、もち米のカゴを渡している。親切にと思えば、料金を要求する。僧侶が柿色の衣を着て、托鉢をする姿を観光化している。朝食付の宿は、気持よく戴ける。
ノーンキアウ行の乘客が多いので、バスを2回乗り換えて、やっと走り出す。小さな寒村を幾つも越えて北へ北へと、矢張り此処にも中国の力の凄さがある。大工場、バイパス工事、巨大なダム、ラオス政府も住民も黙認せざるを得ないのか、中国政府の怖さを知らないのでしょうか。この状態が続けば、と心配なのは個人の考えでしょうか。
ノーンキアウはナムウー川と国道ジャンクションにある田舎村、でも徐々に観光客は増加しているのでしょう、レストランやホテルが橋の東西に沢山ある。旅行者には困る事は無いのですが、のどかさが消え、俗化していくのは寂しい事です、船でしか行けない秘境のムアン・ゴーイを往復するので、2泊するつもり。明日のボートチケットを予約して、船着き場を確認する。此の村をブラブラ、洗濯し、本を読みのんびりの時間を過ごしました。
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左=ノーンキアウの橋からの風景    中央=ノーンキアウの船着き場    右=ナムウー川下り 水牛の群

           ノーンキヤフ→ムアン・ゴーイ→ノーンキアウ

 朝食が終わった頃、すごい突風と雨、この宿のレストランの窓はすだれなので、テーブルの上の物が飛ばされる。従業員は慣れているのか、悠然としている。でも直ぐに雨は止む。宿からは山の景色は霞んで見えないが、船着き場の出発は10時30分が11時30分のラオス時間、次々と乗客は載り混み、定員は在ってないようなもの、喫水線をはるかに超えている。漸くして出発、逆流なのでエンジンの音を、けたたましく蒸かします。両サイド緑豊かなジャングルのような森林が続きます。岸辺の砂の丘がある所には、水牛が沢山います、放牧か野生かは知らないけど、白、灰色の水牛も要る。水牛がこんな毛色をしているのは不思議、突然変異なのでしょうか。暑いので川に浸かり、首だけ出している。外敵もいず、見るからにのんびりとしています。集落あるが、はっきりとは見えない。川風は心地よく、好きな音楽を聞き夢見心地。
 ムアン・ゴーイに着けば、ホテルの誘いはある。メインストリートを突き当りまで歩く、舗装なしの道は、鶏の親子が忙しく走っています。レストランや宿が少しあるだけです。機織りの織機で、若い奥さんが絹の織物をしています。通リの小さなレストランで、昼食を戴きました、泊まるならタム・カーン洞窟まで行きたいが、帰りの船の事もあり、時間がありません。帰りもラオス時間でした。
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左=ムアン・ゴーイの中心地    右=ムアン・ゴーイのはた織り若奥さん

         ノーンキアウ→ルアン・ナムター

ノーンキアウの朝は、鶏の声で起こされる。コケコッコー、コケッコキー、コケッコッコ、その声にも高低差はある。方々からも木魂ように鳴り響く、暫くして犬の遠吠え、そして小鳥のさえずり、ラオスでは目覚まし時計は不要です。多分今日も行動日になりそう。小型バスで8時間位かな。満員になるまで1時間待たされる。何時もの様に山を幾つも越える。山の上にも集落はあり、少数民族の村でしょう。焼畑農業が多々見られる、まだ残り火が燃えている。新芽が出ている畑もある。バナナや綺麗に整列されたのは、ゴム園でしょう。道路はアスファルトが薄いので、穴ぼこだらけ、冷房が壊れているのか、快適なドライブとは言えない。ウドムサイで昼食、集合時間を訪ねても、要領を得ない。乗車しようとしたら、車は他の所に動かされていた。私達は慌てました。暫く走れば、他の車に移動させられます。多くの乗客が下車したので、同じ会社の車が近くを走っているので、移らされたのが理由でしょう。今度は車内に、寝そべっている女性や、もう一人のドライバ―さんと、大声で話している、運転に集中して下さいよ。やっとルアン・ナムターに到着する。旧市街までは遠いけど、宿を捜し落ち着きました。長時間の乘車でした。
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左=カム族の婦人達    中央=カム族の部屋    右=途中で大麻を吸っている男性

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左=タイダム族の住居    右=アカ族の一家

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左=アカ族の民族服    右=モン族村への橋

         ルアン・ナムター(2泊)

 昨日は到着するだけで精一杯でしたが、直ぐ近くでナイトマーケットが、ありましたので夕食のテイクアウトに、多くの屋台が並んでいます。ラオスの主食はもち米(カオニャオ)、手でちぎって惣菜と一緒に食べています。男性軍はラオビールの冷えたのを戴いています。冷蔵庫がある時には、私はマンゴーを冷やして、美味しく戴きます。
 昨日のツクツクの運転手に、4つの少数民族の村の見物を、約束していました。約束時間にきっちりと来てくれています。ラオスタイムではないことも有るのです。
 最初にカム族の村、藍色に染めた民族服を今でも着ています。婦人達が子供の世話をしながら、観光客が来れば、何かを買ってほしい、染めた布と小物です。タイダム族は貧し気な小屋ばかりの集落、子供達が一斉に走り来て、出迎えてくれる。手首に巻くブレスレッドを買ってほしい。キャラメルを1つずつあげました。アカ族の若い赤ちゃんを抱いている女性に、民族服を着てもらって、写真を撮りました。山岳の少数民族は、昔ながらの夫々の民族服を着ていると、勘違いをしていました。何かの儀式、冠婚葬祭にだけ着るそうです。テレビがあるのですから、村は俗化しているのが当たり前、御主人は出稼ぎに行、主婦ばかりが村に残っています。モン族の村は遠いからと、渋って居ましたが、約束を守らなければ、お金は払わないと言ったら、運転を始めた。確かに大きく山を回って、時間は掛かりました。ラオスで初めて澄み切った川に、少々危なっかしい竹の橋が掛り、小高い村は、粗末な木材で、屋根はトタン、高床式の家屋に住んでいます。男性も家にいるのは、仕事が無いのか休みなのか、幼い子供達はとても多い。キャンデイをあげると、不思議な顔をして、口に入れると美味しいので、また手を出す。4族を訪ねて回り、車を待たして歩くこともあり、疲れました。以前タイで訪れた少数民族の村は、観光化されて1つの場所に集められて、民族服を着せられていただけであった。
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ウドムサイのプータート寺院

         ルアン・ナムター→ウドムサイ

日中の日差しは強烈、北部に行くほど、朝晩は肌寒い。ノーンキアウからこの町に来る時に通ってきた町にバックする。あのバスターミナル付近で、トラックのタイヤから煙が出ていた。東西南北の交通の要所らしく、各地からの荷物満載の大型トラックがひっきりなしに、通過していきます。途中は眠っていて外を見ていないが、北のつましい家屋の集落が点々とある。野を越え山越え、西と進む。山の斜面には多くの焼畑農業が、トイレは御花摘みと雉うちで、のんびりとしたものです。道路工事で待たされる、長い時は30分位、誰も文句は言わず、当たり前の事なのでしょう。ウドムサイの旧バスターミナルは中心地にあります。宿は古いが立派な構えですが、レセプションは言葉が通じず、もどかしくてイライラする。中学生の英語位は話してほしい。レセプションに居る値打ちが無い。冷蔵庫あり有難い、今夜もマンゴー、良く冷やして戴きましょう。マンゴーナイフを持ってきた甲斐がある。
此の町の観光はプータート寺院です。良く整備された道路を通って、小高い丘の上の頂上に、黄金の塔と仏陀像が聳え立っています。ヨイショコラショで登っていけば、ウドムサイの市内が一望です。辺境ですから中国の人が、沢山住んでいるようで、店の看板は全部漢字です。中国のオーナーの店で、夕食を戴いたけど不味い。
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左=バークベンの船着き場    右=バークベンの対岸の村

            ウドンムサイ→バークベン

 バークベン行は、新バスターミナルからの出発です。8時30分発ですが、その時間前に行ったのに、ミニバスは満杯です。天井には荷物も満載、私達は補助席しかありませんでした。今回、高低差は無く、緑豊かな小さな村を次々と越えていく。降りる乗客も多く、バークベンの近くでは 少ない乗客となる。巨大なバナナ園が連続しています。収穫が近いのは、バナナの房を大きなビニールで覆っています。次のバナナ、又次と順次計画して、栽培されています。4時間30分で、バークベンに到着。メコン川に架かる橋を渡り、船着き場近くの宿を決める。明日のルアンパバーン行のスローボートの発着時間とチケットの予約を済ませ、近くを散歩して、インド人経営の宿で、メコン河に面した大きなテラスで、洗濯物を干したり、読書したり、のんびりと過ごしましょう。最高の贅沢を味わいましょう。テラスからは船着き場が良く見える、中国からの大量な荷物が運ばれ、人界作戦で陸揚げをしています。今月の14日から3日間程は、ラオスの正月らしい。多くの出稼ぎの人々が帰省して土産の荷物と一緒なのでしょう。メコン川に面しているので、土埃もなく、テラスと川の間の庭には、バナナ、パパイヤ、マンゴーなど、名も知らぬ大きな花が育っています。川を隔てた向こうには、象の飼育場が有り、早朝は水浴びに像達が、やって来るそうで、楽しみです。清潔で。景色の良い宿は快適です。
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左=メコン川くだりの船内    右=メコン川くだりの工事中の高架橋(中国資本にて)

          バークベン→ルアンパバーン

    朝は霧が深く、象達の水浴びはカメラでは無理なようでした。ルアン・ナムターからフェイサーイに行き、バークベンまでと思いましたが、その間船便しかなく、バスは無いので2日間も船旅では、ルアンパバーンまでには、体力が尽きるかもと心配して、1日だけの船便を選びました。8〜9時間を、堅い椅子で我慢しなければなりません。バークベンでの朝食は洋風スタイル、インド風も有りました。心地よい宿を去るのは、何となく寂しいです。
 ルアンパバーンに向けて出発です。メコン川下り船は細長い、甲板は板張り、船尾には荷物置き場、トイレが2つ、大きなエンジン、屋根の上にも大きな荷物が満載、船頭は運転席がドカンとある。船内は100人位かな、縦長の椅子も有り、地元民は其処に座っています。救命具は3つ。満員の乗客を乗せて、エンジン音を響かせて、定時に出発する。メコンの混濁した大きなゆったりとした流れに乗って、進んでいきます。乗客はビール、ワインや食料を持ち込んでいます。ドイツ、フランス、英語が聞こえてきます。大きな声の談笑の中を、夫々が思い思いに楽しんでいるようです。8時間の長きを過ごすのですから、当然でしょう。川の流れは下りですし、ゆったりと見えるが、中心は激流、浅瀬もあり、突然大きな岩が突き出ている。気を抜けない運転でしょう。対岸は同じ風景が続きます、時折砂地の岸辺には、多くの水牛達が寛いでいます。此処にも白、灰色、濃茶が居ます。偶に集落が有り、子供達は水遊びに、興じています。船着き場がある所から、人が何かを持って、合図すれば、船は近寄って乗船させています。音楽を聞き、読書、短歌をつくったりして、流れに即した船旅でした。ルアンパバーンの船着き場は、市内から離れた所にあるので、危うくツクツクの運転手に、高くふっかけられそうになりましたが、人のよさそうなドイツ人に助けられ、ナイトマーケットの近くの、以前泊まった宿が空いていて、其処に落ち着きました。今夜もナイトマーケットに通い、手先の器用なモン族の手芸品を楽しんで、食料のテイクアウトを楽しみました。
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左=ルアンパバーンの托鉢    中央=ルアンパバーンの朝市    右=ワット・シェントーンの宝石をちりばめた壁

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左=ワット・シェントーンの湾曲の屋根    中央=プーシー寺院よりの下り    右=象の行進

         ルアンパバーンにて

 先日泊まった宿は優しさの漂う女主人、朝食は何種類から選択できる、もう1日泊まりたいが、何時も旅の最初日と最後は予約していますので、其処へと移らねばならない。近くであった日本人経営の宿に移動する。多くの情報を得られる気持ちもあったのだが、荷物を預けるために行けば、台所兼レセプションの汚さに吃驚し、予約以外のお金を請求され、部屋を覗くと家具は汚れていて、シーツも、掛ける毛布も洗っていない。シャワーの蛇口、ドアーの音は大きい、数えたら限がない程、日本人の経営だけで、それを見当てに泊まるのでしょうが、この旅で一番嫌な思いをしました。多くの国を旅していますが、こんなにも恥ずかしいような日本人が居ること、経営者としての根本を忘れています。最後まで愛想なしの、挨拶なしの嫌な人でした。
 今日はラオスの寺院の中でも、世界遺産を代表するワット・シェントーンに行きましょう。湾曲した屋根の優美さ、壁にはユニークな、宝石をちりばめた絵画の如き多くの壁があり、その壁には意味が込めてあるそうです。朝早くであったので、観光客も少ないし時間をかけて、ゆっくりと見物出来ました。 今になって不思議に思う事は、ラオスに入国して、青空を見たことが無いのです。高村光太郎さんの智恵子抄の詩に、妻の智恵子さんが”東京には空が無いという“思い出します。此処ではその原因は、焼畑農業が続いているからとか、中国からPMが飛んで来るとか、まだ解明はなされていないようです。厳しい暑さの時間帯に、国立博物館の前にプーシーと言うお寺に、小さな登山をします、海抜700mあり、長き階段をヨレヨレで登りました。頂上では金色の塔(タート・チョムシー)がある。一息ついて下山しました。
 帰国の日ですが、夕方なので日中は、観光が出来る。最後の宿は清潔とは言えないので、何となく落ち着きませんでした。今回はワットが、沢山並んでいる寺町道に行く、カメラマンが大勢、托鉢のお坊さんの姿を、沢山見られました。喜捨を求めているお坊さんが、もち米を肩から下げた入れ物に、一旦は入れてはいますが、直ぐにゴミ箱に捨てています。お金も喜捨していますが、それは別のポケットにしまっています。地獄極楽、金次第の例えを、示しているようでした。
 もう1度朝市に行く、メコン川の大きな魚や、日常生活に必要な物、果物、野菜など、歩き難いほどの人並、子雀を小さな篭に入れて、空に放せば、幸運が訪れるのかな?食べるのかな?梟の幼鳥までが売られています。可愛そうで見てられません。多分放しても、生きられないでしょう。
 9時過ぎに象の行進があるそうです、5頭の象が、象使いを乗せて悠々とやってきます。多くの観客が写真を撮りに集まります。正月の行事として、水かけ祭りが行われますので、宿から出かける時は、隣近所水のかけ合いで大変でした。
 ラオスを旅して思う事は、以前とは随分と発展している。その発展の激しさには、中国が加味しているのです。各地で宅地開発、大工場、大きなダム、バイパス工事等、全てが中国の看板が掛かっています。ラオス国民も政府も何も思わないのでしょうか。ラオスはいずれ消滅し、中国に統合されるのではないかと、危険視するのは思い過ごしでしょうか。旅人が如何思うかは、勝手ですけど。発展するは、時代の流れでしょうけど。人の心はそれが幸せか否かを、考えさせる旅でした。
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