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初(はっ)ちゃんの世界紀行 ――吉田初枝
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  カンボジアの旅 〔2019.06.28〜07.06〕
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カンボジアと言えば誰もがアンコール・ワットを連想します。50代の頃タイを経由して訪れてはいますが、暑さの為に疲れてしまい、ゆっくりと見物した想い出は無く、今回は岐阜の友人との約束で、各地を沢山訪れるのではなく、同じ所にいてのんびりの観光をしようと、選んだのがカンボジアでした。
 旅する日をお互いが暇の日を選んでしまい、気がつけば大阪で、G20が開催される日でした。ヤレヤレ困ったな、バスは運航中止、“はるか”を利用する。関空の警備は厳しく、何時も通りの出国の順路ではなく、テープで作られた通路で、時間が掛かりました。全国から警察と警備員を総動員して、多額の税金をかけての、大阪での開催は、果たしてその成果はあるのでしょうか。疑問に思い乍の出国でした。
 ベトナム航空はトランジットが短く安いが、親切な対応ではなかった。アンコール・ワットの観光の拠点として、首都プノンペンよりも、シェムリアップ往復を選びました。空港からはバイクの後ろに乗車できるように改造したツクツクで、舗装なしの赤土の埃舞う道を30分程、目当てのホテルに到着する。昨年新築されたホテルは、立派過ぎるようですが、偶には良いでしょう。此処に3泊するので、気持よく過ごしましょう。近くにマーケットありで、マンゴーは果物の中で、一番美味しいと思っている私達には格好の場所、この旅では思いっきり戴きましょう。
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左=アンコール・トム南大門    中央=第一回廊の壁 クメール軍とチャンバ軍の戦闘    右=バイヨンの回廊

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左=観世音菩薩の四面搭     右=最も有名な菩薩像

            シェムリアップ2日目

 便利な所にあるこのホテルは、オールド・マーケット、パブストリートにも近く、バイキングスタイルの朝食付きは、とても有難い。早速、早朝にマーケットに行、マンゴーを買って冷蔵庫に。良く冷やせばそれだけ甘みが増すのです。
 アンコール・ワットとトムを、いかに効率よく見物しようとすれば、現地のツアーに入ることが一番手っ取り早い。集合場所はシュベタ通リを歩いて20分。日本人二人との合同ツアーです。雨季の今は観光客が少ないそうで、ラッキーです。ツアーの内容は、午前中をアンコール・トム、クメール料理の昼食付き、午後はアンコール・ワットの見物です。ガイドさんと小さな車が迎えに来ます。市内の中心部より40分位、いよいよ世界文化遺産の一つに入場する。アンコール・ワットは12世紀の中頃から後期にかけて建設られた。トムはワットより50年程後らしい。日本で言えば平安時代から室町時代にかけてである。入場料は以前よりは値上がり、1日券は37$、写真付きのタグを首からぶら下げて、入場前の道路でもチェックを受ける。カンボジア住民は只らしい。1辺が3キロの城壁で囲まれ、その周りが堀になっている。日本の城の造築法と良く似ています。城壁の中は一つの都市でした。南門より入ります、橋の欄干は両サイドをナーガ(5つのコブラの顔と長い蛇の胴体、不死のシンボル)を引きずった阿修羅の像が50以上もあります。首や手がない像もあり、内戦により破損したのでしょうか。象に乘って見物もできるそうですが、年々象の数が減って、今年で最後になるそうです。トムの中心は、バイヨン寺院であり、其処には一つの宇宙観があります、神々の住む聖域で、神の心を王が伝える役割を持っていた。建設当初はヒンズー教であったが、時が経てば私腹を肥やす教徒が多くなり、王様は次第に仏教の思想へと帰依し、大乗仏教の伝導に努める。観世音菩薩の四面搭は、東西南北に面した大きな顔からは、何とも言えない微笑みをたたえ、何処からでも貴方を見守っていますと、感じて居たのでしょう。沢山の観世音菩薩が54体もあるそうです。バイロンの回廊は東、南・第一、第二回廊の夫々には、庶民の生活、戦、王宮の生活等が、時代絵巻の如く、その表情までもが生々しく彫られています。静かに観ていると、その当時の騒音までも、聞こえてきそうでした。また遺跡群には、王が謁見した王宮跡があり、象は神聖な動物として、崖の上の象のテラスには、ガルーダや象の彫刻が、沢山彫られています。説明を聞きながら、ゆっくりの歩きで、多分簡単な見物なのでしょうが、午前の部は終りました。
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左=西門よりアンコール・ワットのパノラマ    中央=アンコール・ワット 中央祠堂の仏様    右=十字テラス

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左=デバター(女神)像    中央=回廊の壁画 天国と地獄    右=第3回廊 神々の世界

 私達は一旦アンコール・トムを出て、お昼のクメール料理を戴きに、市内に戻りました。魚のスープから始まり、野菜やブタ肉の炒め物4品、フルーツのデザートあり、優しい味で、タイの料理に良く似ています。隣国であるが故でしょうか。休憩をとってから今度はアンコール・ワットに入場です。西門より入ります、堀を巡らせた西門に続く橋は、老朽化が進み、今修復中です。仮設の浮き橋を渡ります。クメール王国の象徴である此のワットは、西門から眺めると5つの塔の姿が前面に広がり、朝夕の光の具合で、水鏡への写りは、さぞかし美しいことでしょうと想像する。中央祠堂を頂点に三重の回廊に囲まれて、多くの階段を登らねばなりません。ガイドさんが気をつかって、ゆっくり歩んでくれる。回廊の壁面にはびっしりと埋め尽くす、壁面に浮かび来るデバター{女神}は装飾品や顔の表情、薄衣から醸し出される艶めかしさ、回廊の絵巻は、逸話を描いているのが多い。幾つかの物語を語ってくれる。西も東も一種の動画の世界でした。第一回廊と二回廊が交わる十字回廊は、王が地上と神の世界を結ぶ、祈りの場所でもある。現在はお坊さんが座っていて、何かの占いを為さっています。その横には喜捨のお札が見える箱が、置いてあります。若き女性が両手を合わせて、真剣に説明を聞いていました。人には迷い悩み、如何しょうもない時が有ります。自分も昔、結婚を決める時には、占ってもらった事を想い出していた。アンコール・ワットの見物には、相当の人混みと暑さを覚悟していたが、曇っていたので、それ程でも無く幸いでした。季節により時間により、夫々の表情があるそうです。これ以上見物しても、或る一片しか思い出せない気がします。この遺跡は内戦により、多くの被害を受けました。所々には其の痕跡もあります。老朽化が進むよりも、人間同士の戦の方が、破壊させる大きな原因であり、この偉大な文明の証を、見守っていくのが、後世の人々の務めであろうと感じました。何年も前から、東京の上智大学とフランスが、修復に携わっています。


               シェムリアップからトレンサップ(水上生活者見物)

 泊まっているホテルより、近くにはシェムリアップ川が流れ、両サイドは散歩コースがある。昨日は良く歩きましたから、今日は午前中ゆっくりしましょう。朝は何時も散歩する。幾つもの橋が掛り、長椅子が置いてあり、地元の人々の団欒の場でしょう。風が爽やかに吹いてきます、どの国でも穏やかな時を、大切にしていることを感じます。近くの店でまたマンゴーを買いました。オールド・マーケットには、同じような店ばかり、何時売れるともわからぬのに、のんびりとしている様子です。お昼は近くのレストランで戴いた、麺とチャーハンはエビがたっぷりと入り、とてもおいしい。又来ようと約束する。
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左=オールドマーケット 野菜やさん    右=トレンサップ湖の雑貨屋さん

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左=トレンサップ湖上の学校    右=食用のワニ

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 午後からは、トレンサップ湖の水上生活者を、見物に行きましょう。個人では遊覧船にぼられるそうで、ツアーの会社に、頼みました。東南アジアでは最大の湖、この国の中央に位置し、2万個以上の家屋、10万人以上が暮らしています。乾期と雨季の差が大きく、“伸縮する湖”と言われています。乾期でも琵琶湖の4倍、雨期には20倍以上とか、想像した以上に巨大な、海と錯覚しそうな湖に行く。途中は緑の田んぼが広がり、時折蓮池が点在する。白やピンクの花が咲き乱れ、仏様に供える蓮の蕾は此処から出荷するのでしょうか。ボートチケット売り場には、多くの中国人達が居ます、大声で喋り、食べ物を手に、他の人を思いやる気持ちのない中国人は、どの国でも一番嫌がられている。船着き場には、色んな種類の観光船が停泊しています。小さな舟に私達は乗り込む。トラックのエンジンを蒸かして、バリバリと凄い爆音、茶色に濁った泥水の中を、湖に繋がる川を暫く進む。対岸は鄙びた住居が続いています。乾期に川を清掃して、船が通れるようにした堆積物が、岸辺に積まれています。巨大な湖に出れば、遠くに水平線は見える。この湖は面積が増しても、水深は変わらないそうです。基礎柱を水面よりも、ずっと高く住居を建てています。生活者は殆んどが、漁業に携わっているらしいが、近年は水質汚染や乱獲で、魚獲が減少しているらしい。湖に浮かぶ家屋は教会、学校、ガソリンスタンド、郵便局、病院、商店など、生活必需品は何でも揃っています。飲料水は買っているらしい。身体を洗うのと、トイレはと聞けば、湖にポットーンらしい。そしてこの湖には、カンボジア人とベトナム人が、二手に別れて住分けているそうです。或るお店に舟を着すれば、ワニとナマズを飼育しています。其の珍味を求めて、お客さんがやって来るそうです。湖から渡って来る涼しい風が気持ち良く、マングローブの林を抜けるのかと思っていましたが、私達のツアーには入ってなかった。天候に恵まれ難無く、巨大湖のクルーズが出来て有難い。シェムリアップの町だけの観光ではつまらないので、明日はバッタンバンに行こうと、バスを予約しました。
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左=バッタンバンのター・ドンボーン・クロニャーンの像    右=バッタンバン 路上の魚屋さん

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左=ミセス・ブン・ルーンズの伝統的な建物    右=ジャックフルーツ

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           シェムリアップ→バッタンバン


 早朝からの日差しは強烈、3日居たこのホテルは、とても気に入りましたので、また帰ってきたらと、予約をしました。バッタンバンまで4時間かかるそうです。昨日のチケット売り場の小父さんが、”クラー付きのデラックスバスだよ”と言って、売ってくれたのですが、果たして如何かな。バスがやって来たが、期待は何時も外れる。公共のバスの中では、携帯は大声で話し、子供達は泣き、親は知らん振り。1時間位は乗客を拾い乍の運転でノロノロと、次第にスピードをあげて走るが、道路工事で何度も待たされ、昨夜の雨が赤土の道路を沼のようにして、右往左往する。窓の外は何処までも続く稲作の田んぼ、時々は白い牛達の放牧を見かけます。インドで見たふたコブ牛ではない、多分肉牛なのでしょう。トイレタイムもなく、やっとバッタンバンに到着する。ツクツクのドライバーさんが、ホテルまで送ってくれる。如才ない人柄と見受けましたので、お昼からの市内観光を、頼みました。この地はカンボジアでは2番目に大きな都市です。内戦ではポルポト政権に対し、最後まで抵抗した地です。私達が泊まったホテルは、中心街に位置し、三角形のユニークなナッツ・マーケットが直ぐ近く、またマンゴーが買えるので、楽しみです。多くの食堂もあり、ローカルフードも楽しめそうです。
 ツクツクのドライバーさんは、約束時間にきっちりとやってきます。此の町の事は何でも詳しい方のようです。市内の中心部から廻り始めます、仏教寺院が多い。お寺も広い境内を利用して、幼稚園や学校経営をしています、カンボジアでも昔のように権威を持ち、門徒が多いわけではないのでしょう。生き残りをかけて、今は駐車場や学校経営が主な収入源なのでしょうか。バッタンバンと名前の由来となった武将の銅像が、中心部にどっかりと鎮座しています。今も尊敬を受けているのでしょう、多くの供物がお供えされて、お祈りが絶えません。南の方に下がって行き、100年位前の伝統的な木造建築を見物に行く。この家主は3代目らしい。2代目の祖父祖母は、ポルポト政権下で知識階級の為に、首を切られて惨殺され、自分の母だけが奇跡的に生き残った。部屋も見せてくれる、昔の重厚な木製の家具が、沢山ありました。彼女が昔の生活を、詳しく説明して下さる。庭には見た事のないよう、巨大なジャックフルーツが、ぶら下がっていました。あのフルーツはどうなるのかな、気になります。
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左=キリング・フィールドの納骨堂   中央=ワット・エフ・フノン    右=ワット・エフ・プノンの隣の仏様の回廊

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左=キリング・ケイブ     右=ワット・プノン・サンポ― 山頂からの眺め

           バッタンバンにて


 この国は自国の通貨よりもアメリカドルを欲しがるので、私達はチェンジマネーをする必要がない。昨夜はホテルのホットシャワーが出なくて、修理に時間が掛かるそうで、部屋を変えて貰いました。朝食付きですが、誠に粗末なもので、無い方がましです。でも部屋は大きくて清潔ですから、値段の安さから言えば、仕方がないのかも。昨日のドライバーさんが、今日1日の観光をしてもらいます。朝8時に私達のオープンカーはやって来る。市内の寺の学校の周りには、学生達が屋台で朝食をとっています。家庭でのお母さん達は、朝食を作らないのでしょうか。
 最初に訪れたのがカンボジア独特のお菓子の製造所。日本の外郎の様なお菓子を、女性ばかりで作っていました。清潔とは言えない所でした。その近くにはカヤに似た、レモン・グラスの香草が道端に生えている、畑にも沢山植えられています。ドライバーさんが何本かを取り、丸めて呉れると、何とも言えない良い匂い。ベトナムのフォーと言う麺類には、此の香りが入っていたことに、気がつきました。タイ、ラオス、ベトナム、カンボジアでも有名な、野菜たっぷりの生春巻きに使っている、ライスペーパーを作る作業所では、若い女性二人が呼吸を合わせ、慣れた手つきで作っていました。1日に3000枚も作るそうです。そしてバッタンバンのお酒の蒸留所にも行きました。郊外の寂しい丘陵地帯に、小さなお堂が有ります、其処がキリング・フィールド。ポルポト政権下で(1975〜1979)粛清と言っては、その当時の上流、知識階級の人々を、何の理由なく惨殺した、処刑場であった。当時には処刑場が300以上もあったらしい。その搭には頭蓋骨が入っている。学校ではその惨劇を、教科書に載せず教えていない。カンボジアも自国のマイナス・イメージを隠す政策をとっているのでしょうか、中国の得意とするところなのに。自分の両親が其の憂き目にあっているので、何時も子供に繰り返し語っている。ツクツクはオープンカーなので、自然の風を一杯に浴び、田舎巡りの緑豊かな田園地帯の香り、プルメリアの甘い爽やかさ、清々しくて何と言う楽しさなのでしょう。車では決して味わえない。午前中の終りに、ワット・エフ・プノンに行く。ヒンズー教の寺院、中央には大きな祠堂が建っていますが、崩壊しているところが多く,瓦礫の山と言う感じです。隣の大きな仏様には、沢山の弟子達が直立不動の姿で立っています。瓦礫の中から仔猫ちゃんが出て来て、可愛そうです、誰かが飼ってあげて欲しいなと、祈る気持ちでした。カンボジアの人々は穏やかで、笑みを絶やすことなく接してくれます。其れには多くを日本政府が、色んな所で援助しているお蔭もあるでしょう。バッタンバンからプノンペンまでの高速道路が造られていますが、日本企業が請け負って、工事を担当しているそうです。お昼は孤児院で育った子供達に、ある日本人が日本食を教えて、日本食堂を開いています、全てが3$で、結構おいしい、お客さんは日本人ばかりでした。
一先ずホテルで休憩をして、午後2時にオープンカーが参りました。赤土を巻き上げ乍ら、南に下り、広い水田が広がっていく、ドライバーさんがマスクを渡してくれました。道の両端から美味しそうな匂いがします。焼き肉かなと覗くと、ネズミの丸焼きです、食用に育てているので、汚くはないと勧めてくれるが、絶対だめですと断る。水田の中に突然緑の山が見え、頂上には金色の寺院、目的地のワット・プノン・サンポーです。入山料を払います。山頂まではツクツクでは行けないらしい。ジィープを雇い、ガタガタの細い山道を登っていく。800段ある階段を、登ると思っていたので、助かりました。此処もヒンズー教と、仏教が混在したお寺です。ジープが山頂へと運んでくれる。山頂から広大な美しい風景が広がっています。今の季節ファイヤーフラワーの赤い花と、樹々の緑とのコントラストが素晴らしい。山頂を歩いて回ると金搭のお寺や食堂、お土産屋さんもある。猿たちがいて悪戯されるのが怖いので、眼を合わさぬようにして歩きました。内戦時のドイツ製の高射砲がありました。此の高さからなら、弾丸もよく飛んだでしょう。寺の近くにキリング・ケイブ(洞窟)が3つありました。此処もポルポト政権当時、多くの人々の首を切り、このケイブの中に突き落としたそうです。惨殺行為を話してくれるドライバーさんは、涙で濡れています。現在はケイブの中には、仏様を安置して、人々はお参りに来ています。山頂は広く、次々とお寺にお参りに来ています。人々の信仰の篤さを感じます。夕方になり、迎えに来てくれたジープで山を下りました。ジープで登る時の道に、沢山の椅子が並べてありました。その椅子の前には大きなケイブが有ります。もう直ぐ小さなコーモリの大行進が見られると教えてくれる。暫く待っていると、空一面に黒い帯状ものが駆け巡り、段々と濃い色になり、ケイブの中に入ったり出たりする、珍しい鳥の習性なのか、多くの観光客は空を見上げています。私達は早めに失礼をして、バッタンバンの宿へと帰りました。ドライバーさんは明日、バンブートレインに乘らないかと誘います、かなり危険な所らしいです。老いたる私達には、怪我が心配だと断りました。私達を何歳だと思っているのだろうかと、笑い合いました。サンガー川の両側には。多くの夜店が出ています、カンボジアは青空市や出店が多い。マーケットの周囲には出店ばかり。でもその順序ありなのか、同じところに同じ店が、毎日出ています。
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左=アプサラ舞    中央=アプサラ舞    右=オールドマーケットの早朝市(食料ばかり)

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              バッタンバン→シェムリアップ


 バッタンバンの宿は古い宿、朝食の粗末さは、それなりの安さ故でしょう。未だ観光地としては人気が無いのか、日本人には一人も会いませんでした。昨日はツクツクのドライバーさんが、ベテランだったのでしょうか、個人では無理な所まで、案内をしてもらいました。サー今日はシェムリアップに帰りましょう。予約した大型のバスは、会社のピックアップがあり、ターミナルまで送ってくれるサービス付き。早朝、激しい雨だったので、道路が川のようになっている。道路工事は、この水が引くまで出来ないのではないでしょうか。雨季の工事は送れることを見越しているのでしょう。雨が止んだので、地平線の向こうまで続く、緑の田んぼが眩しく光っています。4時間ほどかかりシェムリアップに着く。3日前、泊まったホテルにチェックイン。今回は馴染みになったので、少し安くしてくれる。遅い昼食を、あの美味しい店で戴きました。そして又マンゴーを買いに行く、本物のマンゴーはどんなフルーツよりも美味しい、お土産にと思うが、持って帰れないので、ドライのフルーツを少しだけ。今晩のアプサラ舞を、夕食のバイキング付きで予約しました。予約を受けた方が、夕方6時半までに行った方が良いと言われ、私達は劇場に、その時間に行きました。舞台の真ん前の席を取ってくれて、嬉しい気持。バイキングは凄く豪華、何から戴いてよいやら。始まりと同時に、多くのツアーのお客さんが、飲み物を注文する声で大賑わい。30分かけて好みの物を。アプサラ舞が始まる。元々この踊りは宮廷の踊りでした。ポルポト政権時には、踊り子たちは殆んど処刑されたらしい、生き残った数人が復活させた。ゆったりとした舞だけは、京舞にも似ています。観客を飽きさせないように、村の男女の恋愛、ラーマヤナからの舞、ココナッツの皮を鳴らした愉快な踊り、多くの工夫が観られます。踊り子の手の動きや身体の仕草が、タイやバリ島の踊りと良く似ています。ヒンズーの文化の影響もあり、インドから来ていると感じました。後ろを振り向くと、満員のお客さん、此れでは帰りは大変だろうと、早めに退所しました。夜の歩きは苦手で、しないと決めているのですが、歓楽街のパブストリートには、多くの観光客が騒いでいます。一目散にホテルに帰りました。
            シェムリアップにて


 昨日は遅くなったので、今日はのんびりと過ごしましょう。朝は川沿いを散歩する。カンボジアには、まだ多くの遺跡がありますが、沢山観ても頭に入らないので、凝縮した宝物を展示したプリア・ノロドム・シアヌーク・アンコール博物館に行こうとする。雨が時々降ってきます。ツクツクを頼む時には、泊まっているホテルに、紹介をお願いするのが確実です。決めた値段以上を請求されないで済む。その彼は知らないそうで、何人かにたずねていました。過去には僧侶の権限を、小さくしようとする王様の時代の、廃仏稀釈により多くの仏像を破壊した。だがアンコールの住民により、壊された仏像をある場所に埋納していた。東京の上智大学の学生達と、カンボジア政府が発掘に取り組み、この博物館に展示しています。この博物館は訪れる人も少なく、ひっそりとしています。隣にパノラマ・博物館には、大型のバスから多くの観光客が、入って行きます。私達だけの見物者のようでした。とても現代的な展示の仕方です。頭部なしの仏像が多いけど、全く無傷の仏様もある。まじかで仏様の表情をじっくり鑑賞出来ました。 ホテルのレセプションには、シアヌーク夫妻の写真が飾られています。独立の父と崇められているようですが、私が読んだ伝記には、余り尊敬できる方ではなかったのですが。夕方アンコール・ワットを案内してもらった、ガイドさんが訪ねてきました。 愛くるしい彼女は、明日は昇級ガイドの、テストがあるそうです。未来に向けて頑張っている若い人は、キラキラ光っています。もっと良い条件の就職に、就けるとよいですね。
次の日は帰国ですが、夕方便なので、チェックアウトを伸ばしてもらい。アンコール国立博物館に。雨が激しく降ってきましたが、オープンカーの周りを、ビニールで覆ってくれる。雨は一時的なものと、分っているのでしょう、バイクの人達は濡れた儘で走っています。博物館は新築間もない、全てが近代的な設計で、広く歩きやすい。適当なスロープの傾斜で階段は無い。アンコール・ワットからの出土品、宗教、王宮の遺物に分けられて、見物客に理解できるような展示。凝った照明による視覚効果も使っている。これからの博物館のモデルを示しています。直ぐ隣がブランド物のデパートになっています。日本のおもてなしの礼儀を、弁えた若い定員さんばかり、グルーと一回りで宿に帰り、夕刻には空港に向かいました。雨期であるので観光客は少なく、そんなに強烈な暑さではなかった事が、雨期の季節の国に、旅することも良策かも。
今回のカンボジア旅を振り返ると、ピラミッドと並び称せられるアンコール・ワットは、その時代の王の権威の象徴ですが、当時の国民の多大なる犠牲により築かれた遺跡です。紀元前と紀元後の違いがあっても、人類が成し遂げた、偉大さには変わる事はありません。カンボジアでは、今から30年ほど前のポルポト政権の時代は、3年8か月程しかなかったのに、国民の生活を根底から覆し、全人口の三分の一の300万人程が惨殺された。同時にクメール文化の破壊は、人々に限りない悲しみと落胆を与えたでしょう。今もその当時の大量惨殺の悪夢を、引きずっている人々がいますが、その悲しみの中から、こうして力強く、復活を遂げた人類の凄さを、あらためて感じた旅でした。
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