第6075回 A 茨木「総持寺~茨木城址~郡上宿本陣」(街歩き)

総持寺・集合写真

郡上宿本陣(椿之本陣)前で集合写真

 62期最初の街歩き、大阪近郊の茨木市から。茨木に興味を引かれたのは数点あって、一つはキリシタン遺物史料館の存在を教えてもらった事、もう一つは西国街道と関宿、あと一つは郡山城を見つけた事。千提寺の史料館は当日行くにはバスで茨木駅から40分と遠く行けないので前もって車で行って見ておいた。茨木市は京都への入口にあり、戦国時代は多くの武将が時代に流されながら戦ってきた地域で、有名な合戦(山崎の合戦、賤ヶ岳の合戦など)との関わりも知ることが出来た。郡山城は確かにあった、大和郡山城(11月末の街歩き予定)との関わりも少し分かった。茨木駅から先ず茨木神社へ行った。中川清秀の城、茨木城跡には碑が立っているだけ(茨木小学校の北部)。搦手門と櫓門を見ることが出来た。総持寺は本尊が亀に乗った千手観音、平安時代は天皇の勅願寺だった。境内は広く鐘楼、金堂、太師堂、珍しい包丁塚もある高野山真言宗のお寺で、西国三十三ヵ所の第22番札所でもある。新屋坐天照御魂神社(にいやいますあまてるみたまじんじゃ)長い名前の神社、三社ある内の一つ、歴史は古く崇神天皇の時代からのもの。市内に3箇所あり、今回は一ヵ所だけお参りさせてもらった。三間社流れ造りの本殿はそれを覆う石の建屋が建てられて保護されているようでよく見えなかった。西国街道沿いにある郡上宿本陣(椿の本陣)江戸時代には参勤交代等にこの宿が利用されていたと。ここから少し離れた小高い丘の上に郡山城が築かれ城主が中川清秀から豊臣秀長に渡り、秀長はその後大和郡山城に移った。今は石碑と石垣に使用されたとされる石が置かれている。キリスト教の関わりで京都にも関連する史跡、建物があるのでそれらを捜して来年早々廻ってみようと思った。 (一瀬 記)

・日 程=2025年10月29日(水) 晴れ

・リーダー=一瀬   サブリーダー=斉藤

・参加者=12名

・コース=JR茨木駅(9:00)~(9:10)茨木神社(9:35)~(9:40)茨木小学校・茨木城跡(9:45)~(10:20)総持寺(10:45)~(10:57)磯良神社~(11:07)新屋坐天照御魂神社(西河原社)~(12:00) 耳原公園昼食(12:40)~(13:10)郡上宿本陣~(13:27)宿川原バス停=(13:43)JR茨木駅・解散