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焼杉山で |
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左=焼杉山への急坂 右=金毘羅山への急坂 |
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左=金毘羅山で記念撮影 右=琴平新宮社 |
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焼杉山・翠黛山・金毘羅山が「大原三山」と呼ばれていることを、今回50周年記念山行に参加して初めて知った。国道367号線を車で走る時、「金毘羅の岩場」は懐かしく眺めるが、周りの山々を意識したことはなかった。遠目には緩やかな里山にしか見えないが、実際に登ってみると三山とも急坂であった。
計画では、古知谷から登ることになっていた。バスの都合で集合時間が出町柳7時30分と早かったので、「近郊の低山に、こんなに早く集合ですか」と私は言ってしまった。心優しいリーダーはコースを変更。9時30分に大原集合となった。
大原バスターミナルから寂光院方面に進み、大原小学校を少し過ぎて、尾根の末端の登山口から登り始めた。古い昭文社の「京都北山一」に登山道は記されていないが、新しい「京都北山」には載っていた。よく歩かれている、しっかりした登山道だった。大原を出た時に広がっていた青空は、尾根の途中から雨が降り出し、焼杉山では雪が風に舞い始めた。記念撮影をして早々に下山。少し下って、ちょっとヌタバっぽかったが、風を避けられるよい場所があったので、昼食とした。
落ち葉の絨毯を踏みながら、翠黛山を越え、金毘羅山に向かった。次のピークで、わずかに方向が変わる辺りでコースを外してしまった。すぐに誤りと気づくのだが、多くの人が迷い込んでいるようで、しっかりとした道になっていた。岩の多い急坂を登り、標識に導かれて金毘羅大権現から金毘羅山に着いた。目的の三山を踏めて、後は下りだけと気が緩んでしまったのか、元に戻っているつもりが別の道を下っていた。岩の多い急坂を登り、標識を見て、二度同じ道を歩いていることに気づいた。ホワイトアウト時のリングワンデリングをしたような、奇妙な感覚だった。
長い間、江文神社のことを「金毘羅の神社」と思い込んでいた。金毘羅山の中腹に琴平新宮社は祀られている。琴平新宮社・江文神社参道を通って、戸寺のバス停に出た。雨具を脱ぐ間もなく、臨時バスが来た。(田代 記)
・日 程=12月1日
・コース=大原(9:30)〜登山口(9:40)〜581m(10:50)〜焼杉山(11:35)〜(途中昼食30分)〜翠黛山(13:15)〜
金毘羅山(14:10)〜戸寺(15:50)
・リーダー=堀田昌子
・参加者=12名 |
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