後白河天皇の為に平清盛が造進した三十三間堂には湛慶作の本尊千手観音座像と1001体の千手観音立像、国宝の風神雷神、二十八部衆像が並んでいる。今日は修学旅行の団体のバスが何台もやって来る。平安時代後期にはこの一帯は後白河の御所「法住寺殿」が広大な敷地に建てられていた。それらの煌びやかな建物も木曽義仲による法住寺合戦の時、焼き尽くされかろうじて三十三間堂だけが焼け残ったと言われている。その約400年後この地に豊臣秀吉の大仏殿が建てられた。豊国神社、方広寺を訪れるとその足跡を伺い知ることが出来る。奈良の大仏よりも大きな大仏を建てる為、大名に全国から大きな石や木材を集めさせ多くの人々によって完成したその大仏も伏見地震で崩壊、その後2代目から4代目まで建て替えられたがいずれも地震・落雷・火事の為に無くなり今は大仏殿跡公園にその礎石が残るのみになってしまった。方広寺・三十三間堂を管理下に置く妙法院を訪ねた。大仏の千僧供養の折りには食事の支度を担った国宝・庫裏は改修中の幕で覆われていた。その鎮守社として建てられた新日吉神社をお参りして、阿弥陀ヶ峰入り口の豊臣国松(秀吉の孫)と京極竜子(秀吉の側室)の供養塔に参った後、参加者の声に励まされて全員で阿弥陀ヶ峰の秀吉の五輪の塔への562段の階段を登った。さすがに息が切れる。山頂からは清水の舞台と京都市街地が見下ろせた。最後に智積院へここには秀吉の最初の子供3歳で死去した鶴松の菩提を弔っている。長谷川等伯・久蔵親子の楓図と桜図を所有している。今年最終の街歩き迄、無事に終了することが出来たのも頼もしいサブと何人かの特別ガイドの力と参加して下さる皆さんのお陰だと心から感謝しています。来年も魅力的な街歩きを続けられたらと願っています。
(一瀬 記)
・ 日 程=2022年12月09日(金)晴れ
・ リーダー=一瀬 サブリーダー=斉藤
・ 参加者=15名
・コース=(10:15)三十三間堂(11:15)~(11:20)後白河法皇法住寺陵(11:28)
~(11:30)蓮華王院南大門(11:35)~(11:37)法住寺~(11:40)養源院
~(11:55)耳塚(12:00)~(12:02)豊国神社
~(12:20)方広寺大仏殿跡(昼食) (13:00)~(13:05)妙法院(13:25)
~(13:35)新日吉神宮~(13:55)豊国廟下~(14:15)豊国廟(14:20)
~(14:35)豊国廟下~(14:45)智積院(14:55)解散
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