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初(はっ)ちゃんの世界紀行――吉田初枝
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 新疆ウイグル自治区の旅を終えて       〔2018.05.08〜2018.05.20〕
 (タクラマカン砂漠縦断) 
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 連休も終り新緑の候、爽やかな季節到来。サー旅に出かけましょう。関空へ鹿児島、大阪、京都からの三人、群馬からは成田からと夫々が北京、成都とトランジットして、ウルムチ国際空港にて落ち合う。北京では荷物を受け取り、セキュリテイの為でしょうか再検査を受けて、巨大な空港を電車で移動して、国内空港へと移る。隣席の中国人が言うには、もう直ぐ国内空港は別の場所に、建設が完了するらしい。自分は留学生として日本の大学から、日本企業に就職したけど、以前の賃金のメリットは、無くなったと残念がって居ました。空港だけでも此の中国の発展ぶりは、眼を見張るものがある。
ウルムチ空港に移動する間、意外と低空を飛び、天山山脈とタクラマカン砂漠を、空からの見物となり、その大きさに息をのむ気持ちがする。さてこれからどんな旅が始まるやら、不安も大きい。
ウルムチに四人揃い、さて宿に行こうとすれば、タクシー乗り場には長蛇の列、正式料金で行こうとすれば、時間かかっても並ぶしかない。横から誘いはあるが、ぼったくりの白タクに違いない。
予約していた宿は英語を話せる人は居ず、パスポートをコピーしたり、写真を撮られたり、煩わしい事だ、手続きに時間が掛かり、何という無駄な時間、最初からこれでは先が思いやられる。
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左=ウルムチ駅    右=エイティガール寺院

                  ウルムチ(市内観光)→夜行列車でカシュガル
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 ここは新疆ウイグル自治区の最大の都市とはいえども、機内にもウイグル人的な、あの西洋的な白い肌、独特なウイグル帽、色とりどりのスカーフを被り碧眼の女性達を、今のところ見かけず
漢族の人々ばかり。夕刻の列車の時間までを、市内を見物しましょう。中国国土の広さ故に、時差があるが、列車、バスの発車時間は、全てを北京時間に合わせている。北京とウイグルとの時差は2時間あるらしい。海から世界一離れている都市のウルムチは、のんびりしたシルクロードのイメージとはかけ離れ、高層の建物の連立で、想像以上の近代都市でした。
 先ずは予約しているカシュガル行のチケットを得ようと、カシュガルの駅に行く。距離間が掴めないので、四人でタクシーに乗る。駅は以前28年前の一人旅で来た時とは、別世界の如くなっている。駅の近くのゴミゴミした住居は何処に行ったのでしょうか。共産国には自己の土地は無いのかな。政府が決定すれば、有無を言わさず、強制的に立ち退かねばならない。駅の周辺も大きく変貌している。チケットを引き渡してもらいに行くだけでも、何度もチェックがある。これ程の警察とも保安員ともわからぬ輩の、指示に従わなければならぬ鬱陶しさには、辟易してくる。自分達の小さな荷物を、預かってもらうにしても、またチェックばかり。
 中国政府とウイグル族との対立は、根深いものを持っている。中央政府は大多数の漢族との同化政策の軋轢は、少数民族の文化、宗教の抑制政策となり、後からやって来た漢民族優遇措置を取り、亀裂は何時暴発するかもしれない事を怖れている。デモを起させない意味での検問が大いにある。漢民族の職業は警察と保安員が大多数で、無駄な時間と労力を費やすばかり。
 ウルムチの博物館に行く。堂々とした重厚な建築物。此処には外国からのツアーの観光客がいた。
歴史や文物の展示がすっきり、古代ミイラの陳列が目玉である。楼蘭美女は皆の注目の的であった。
 近くの紅山公園を散歩する。ウルムチの中心にあり、その大きさにはあんぐりする。市民の憩いの場で、地元の人々で賑わっています。紅山(934m)の山頂の鎮龍塔からこの街を一望する。牡丹の花が満開でした。その美しさだけが、とても印象に残りました。
 ウルムチ駅より新疆鉄道でカシュガルまで、17時間〈実際は18時間だった〉、2段ベッドのコンパートメント、寝て行けるとは気楽だなー。少しの飲み物と果物を買って、持ち込む。定刻時、何のサインもなく、静かに出発する。都会を離れれば、荒涼とした灰色の果てなき砂漠が、地平線まで続く、段々と暗くなり寝台列車も、明かりが消え、清潔なシーツと上掛けに包まれて、朝まで何も覚えずに熟睡しました。
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左=エイティガール寺院の裏職人街   右=カシュガルの子供達(幼い時に丸坊主にする習慣がある)

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               カシュガルにて
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 カシュガル駅に到着して、駅を出るにも検閲の連続。怒ってばかりいられない。これからは相当な覚悟が必要。長い歴史を持つカシュガルは、シルクロードの貿易で栄え、重要なオアシスでした。イスラム教徒のウイグル族が多数らしい。カシュガルの駅で、次の訪問地の和田(ホータン)行のチケットも、長い行列に並んで早目に買っておく。
 今日の宿はエイテイガール寺院の近くの朝食付の古い宿だが、幸い英語を話す人がいた。レセプションでは、泊まる日数分のお金を、即払わされ、その上にデポジット(預け金)も払わせる。チェックアウト時に返金すると言う。お客様を信用していない汚いやり方は、中国と貿易をしていると、何時もその弊害は、あるのではないかと疑います。
 ウイグル自治区の最大のイスラム教寺院エイテイガール、散歩しながら訪れよう。宿から直ぐ歩いていける。左右に大きなミナレットを従え、イスラムの人々の心のよりどころ。以前、若き頃の一人旅で、この寺院の広場の周辺に、多くの手工業の店が有り、ちらりと覗けば、寄って行かないか、という雰囲気が有りました。手作りの楽器や台所用品、刃物や馬の蹄鉄等、店の前で一生懸命に仕事をしていました。寺院の裏に回れば、以前の店と思われる商店街が、ずらりっと同じ造りの画一的な職人街になっていた。二階建てとなり上は住家、下は店で工場は奥の方にあるらしい。店は商品を並べているが、作業はしていない。以前のようには活気が無く、閉まっている店も多い。
 所々に桑の木があり、その実を子供も大人も、木を揺すり落としている。此処の桑の実は、白い色をしている。私が子供の頃に戴いたのは、黒い桑の実だったが、所変わればこうなるのかな。
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アパク・ホージャ墓

               カシュガルでの二日目
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 朝の散歩でもう一度エイテイガール寺院の周りを。此処の主食のナンを、窯で焼いている。熱々のナンを求めてみるけど、美味しそうな匂いはするけど、硬いな、歯が欠けそうです。スープの中に入れて、柔らかくしないと食べられない。ヨーグルトは自然な味でした。
 アパク・ホージャの墓に行きましょう。庶民のバスで30分程、(1元=17円)乗客が此処だと教えてくれて下車、真っ直ぐな道を歩いてやっと着く。イスラム教の指導者アパク・ホージャとその家族の72人が、葬られた大きな墓で、地震で破壊されたが修復されています。四隅にミナレットがある、緑のタイルが目立つ、大きな建物。タイルが繊細ではなく、荒い施工が気になる。前の庭には今薔薇が満開、良き香りも漂う。バラの美しさに酔いそうです。帰路、国際バザールに寄ってみる。でも何となく活気に乏しい、ウイグル人と分かる人相の人達が、商売に精を出しています。漢族の人達はいないけど、セキュリテイの為でしょうか、道には大きなポリスの車が置かれています。ウイグル人達をターゲットの検問所では、荷物のチェックをしています。漢族的な顔をしている私達には、しつこく調べられはしませんでした。彼等も暇そう、或る人の話によると、人口の35%が、ポリスと保安要員だと言う。少々大袈裟だと思うけど、此れだけ見れば、其れも本当かもと思います。オールドタウンにも足を運ぶ。以前の建物はすっかりと壊されて、平地になり、その後ろの高みに新しく統一した建物になって、並んでいます。下水や電気ガスの設備は、しっかりと整備された町として、ゴミ一つなく清潔な町になっています。又その横にはビルが建ち、箱モノを造っています。入居する人影は無く、閑散としているように見えます。疲れたので洗練されたスイーツの店で、美味しいジュースを戴きました。あのイスラムの帽子を被り、ゲームに夢中になって噤んでいた、幸せそうなお年寄り達の姿は何処に行ったのでしょうか。町には習近平氏の顔写真が、デカデカと貼られて、如何にも自分の力で、此の近代化を進めたのは、自分であるという証を、知ら示すのでしょうか。
 多民族を統率し支配していくには、政府の強引さが無ければ、進歩も発展も出来ないかも知れないが、そのことは少数民族の文化も伝統も、失われてしまうのは必至です。政府の独裁政治にはウイグル族でなくとも、怒りを感じます。彷徨えるウイグル人達の、あのゆったりとした姿を、求めてやって来た私達は、過去の追憶を懐かしく思う、我儘だったのか、大きな落胆を与えています。
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               カシュガル→ホータン
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 カシュガルの宿は、朝食もマー美味しかったし、親切な対応に満足し、気分良く過ごせました。今日は列車でホータンに行く。相棒さんの一人の歩きが覚束ないので、車椅子を用意してくれました。駅では少しトラブルがありました。上司の女性が病院に行くように命令をするのですが、本人が大丈夫と言っていると。自分達は責任を取らないから、その趣旨の一筆を書かされました。責任逃れは、何処に国でもあることです。今の日本政府の典型的なやり方です。列車は三段ベッド、私達は下段ばかりで楽に6時間位を、過ごせました。列車の中は蒸し暑い、窓を開ければ砂漠の砂が入って来るので、開けられない。辛抱の時でした。
 やっとホータンに到着し宿までタクシーで。例の如くレセプションでは、受付に時間が掛かり過ぎ、“エー加減にしないかと”私達四人は爆発寸前。ニコリともしない態度、失礼極まりなし。ホータンの宿は、さっぱり英語は通じず、何を聞いても“メイヨー”だった。
 此の町は昔から玉(翡翠)の産地として、世界的に有名。多くの宝石の店が連なっている。自分には興味が無いので、寄ってみる気もない。今回の旅のメインである、ホータンからクチャまでの、タクラマカン砂漠を縦断のバスのチケットを、先ずは得なければと心は急ぐ。国際旅行社を頼みの綱で訪れるが、扉が閉まっている。警察で訪ねたのが良かった、ウイグル族の警察が、自分の車で、バスターミナルに連れて行ってくれる。有難い事です皆で感謝をする。今晩のタクラマカン砂漠縦断のバスのチケットを手に入れて、ヤレヤレ大いに安堵する。バスの時間まで夫々が自由に過ごし、何か美味しい物は無いかと、男性達は冷えたビールを求めて、散歩していました。少しの食料と飲み物を持参して、バスに乗り込みました。
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               タクラマカン砂漠縦断
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 タクラマカン砂漠の面積は、日本の国土と匹敵する。其の砂漠の中を突っ走る。アラールホータン砂漠航路は、600K位。バスの車内は三列に別れ、席はほとんどフラットに近い。夫々に分厚い毛布が有るが、カバーなく人の使ったものは気持ちが悪いので、足元に置く。ドレイバーさんは二人いて、交代をするのでしょう。遅れは何時もの事でしょうけど、数えてみたら乗客は25人位。もうすっかり暗くなり、砂漠の景色は明け方には、お目に掛かると思い、其れなら満天の星をと期待すれども、舞う砂の為か何も望めない。此の砂漠の砂は日本にも飛来し、黄砂となるらしい。途中トイレ休憩は1度だけあり、その時もパスポートチェック、写真との照合ある。何時ものこと故慣れたけども、この無駄な時間は勿体無いに尽きる。身体は大丈夫なのですが、皆咳が出る、空気の乾燥が、その原因ではないかな。朝、目が覚めれば真っ直ぐな砂漠の道路の両サイド、防砂の樹々が植わっています。タマリスと言う丈夫な木らしい。その向こうには果てしなく続く、荒涼とした大地。なだらかではなく起伏の多い砂利の丘が、延々と続く。砂漠には消えゆく大河の流れが、多くの栄枯盛衰の民族の、移動を繰り返し、駆け抜けた歴史が有る。私が経験したあのロマンチックな風紋のある、サハラ砂漠の細やかな砂の織りなす大地ではなく、こんな汚い砂漠であったかと、残念です。青空は望めず、舞い上がる砂の灰色の空でした。両サイド樹々の大きさが、目立ち始めたのが、クチャに到着した印でした。クチャでは昨日の疲れを癒すために、のんびりと連泊しましょう。何か美味しい食物を捜しましょう。
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左=クチャ大寺   右クチャ大寺のモスク

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左=クチャの旧市街   右=クチャ王宮

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               クチャにて
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 クチャは観光するところが多い。明日は1日車を借り切り、観光地に行ってもらいましょう。今日は自分達でバスに乗り、イスラム寺院のクチャ大寺に行く。門搭は雄々しくでっかく、過っての繁栄を思わせる。内部はさびれた感じです。おばあさんが足を引きずり乍、モスクの扉を開けて呉れる。近くには昔ながらの街並みが残る、これが見たかったので、散策は楽しい。美味しそうな店があったので、お昼を戴く。クチャ王宮は博物館になっている。ウイグル族の典型的な建築様式。豪華な内装は華やかで、12代に渡りこの地を収めた権威を、物語っています。広い庭にはブドウが網羅しています。さぞかし収穫の時には、賑やかな事でしょう。
 街を歩いていても、スピードを出したバイクが、音がしないので、危険である。大体が電動です。日本製のホンダやスズキのバイクは無い。電動に換えねば、流通に乗り遅れるのではないでしょうかと心配する。
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               クチャの二日目
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左=スバシ古城      右=キジル千仏洞

 クチャの宿も朝食付きでしたが、中国の朝食は如何して油で揚げたり、炒めたりの野菜が多いのでしょうか。朝からこってりしたものは食べたくない。外国で日本人に合うものを、期待するのが、間違いであるのでしょう。
 タクシードライバーさんは、予約した時間にやって来た。話せないので一言もない。市内から遠くない、スバシ古城に行く。亀慈国最大の寺院であった。広大な敷地から、天山山脈も遠くに見える。多くの石窟が点在して、その規模の大きさを示している。何時崩れるかもしれない土の塊にしか見えない小山は、過ってのシルクロード天山回廊の、交易路の一部であったらしい。踏み板が敷かれて、その上だけを歩くように言われるが、石窟の中に入って叱られた。70K程車を走らせ、キジル千仏洞に行く、途中の峡谷の間を走る。聳え立つ褐色の岩山の眺め、雄大な景観は、流石と思い知らされます。キジル千仏洞も大きな仏教遺跡です。少し雨が降って来た。40m崖の上にありますが、相棒さんがとても辛そうなので、登らずに下から眺めていました。
 遅いが昼食をと近くの食堂に、その表には首なしで、皮を剥がれた羊が、ドーンと下がっています。何となく気味が悪い。ウイグルの肉屋さんは、日本のようにスライスした肉は無く、部分の塊で売っています。軒先には豚、ヤギや羊がぶら下がっています。相棒さんの一人が急に気分が悪くなり。其のまま車に休んでもらう。もう一つのクズルガハ峰火台をパスして、宿に帰りました。雨がひどくなってきたので、正解かも知れません。
               クチャ→トルファン
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 相棒さんは元気になり安心しました。食欲も旺盛なようです。クチャにはウイグル族の典型的な建物が多い。涼しい内にと思っても、太陽光線は強烈です。近くにはぶどう棚が多く見られ、今はまだ、小さな房が下がってはいます。そしてそのブドウを、干しブドウにする乾燥室も有ります。ワインはあまり飲む人が居ないのかしら、干しブドウばかり作るのでしょうか。イスラム圏は禁酒でした。モスクが存在しても、あのアザーンの声は聞こえないです。政府はアザーンまで禁止しているのでしょうか。大きな赤いパラソルが、沢山ある露天市に行くと、肉のバザールでした。肉となった死体が、ぶら下がっているのは、不気味でした。隣が野菜と果物の市、今晩の夜行列車で戴く、フルーツを買いました。
 クチャの宿を半日延長して、トルファン駅に行く。列車に乗るには、また何時もの嫌なチェックあり、如何してこんな無駄な時間と人件費の浪費、こんなことをしてなんになるのだ。中央政府のウイグル自治区への行政は無駄なことの繰り返し。大きな道路には、度々見ます。自由、平等、公正、民主、富強等のスローガンを掲げていますが、政府は此の反対を、ウイグル自治区で行っている事に、気がついてはいないのでしょうか。誰も文句が出ないように、押さえているのでしょう。
 列車は空いていて、清潔そうなシーツ、枕と上掛け、私達は下段を得て、気持ちよく休めました。朝早くトルファン駅に着けども、駅前にはタクシーの姿が無い。後で気がついたことですけど、多分郊外のトルファン駅に着いたのでしょう。人気が無いはずです、バスにすればよかったのです。仕方がないのでツアーの自動車で、トルファンの中心部に行き、宿に落ち着きました。予約もなしに飛び込みましたが、何だかよい宿のようです。
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左=交河古城     中央=カレーズ      右=蘇公塔

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               トルファンにて
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 宿の中に旅行社がありましたので、トルファン観光の四つの観光地を選び、車を出してもらう。
 先ずは交河古城へ行く。城跡遺跡でシルクロードの天山回廊の一部である。巨大な遺跡で、新しく手を入れて造り替えたようです。まるで映画のセットが、遺したのを見物する様です。入場料が高いので、その建設費を払っているような気がする。以前旅をした時には、ロバの荷台に乘って、半日を見物し,ロバ引きの若者の家のぶどう棚の下で、お茶を御馳走になり、母親が優しい人だった想い出がある。確かに懐かしいぶどう棚は、道の両サイドにありますが、あの雰囲気は何処に行ったのでしょうか。
 次にはカレーズ、シルクロードのオアシスには、天山山脈の雪解け水を、地中に通して送って来る。昔の人々の知恵と努力には感心するが、その見学に行く途中は、余りにもお店の多さ、商業ペースにもっていったやり方に、嫌気がさす。もっと自然体で、見せてくれないのでしょうか。
 火焔山はトルファン盆地の中央にある東西100m南北10K、海抜500m、地殻の変動により、縦の筋入りの山肌が、大地ににょきっと現れた。以前訪れた時には、季節の違いはあるかも、もっと赤味を帯びていたのに、今は何だか薄い色になっている。西遊記にも登場する孫悟空の像があり,自然を見るだけで、入場料を取る厭らしさが、此処にも表れている。 蘇公塔はイスラム建築様式の塔であるが、その玄関にもポリスと保安員が持ち物チェック、横柄な態度に腹が立つ。外から写真を撮り、入るのを止めた。全ての観光を終えて、明日のウルムチ行のバスのチケットを求めなければと、オフィスに買いに行くが、今日はもうないとか、明日来なさいと言う。何だかよくわからないので、最後の手段、車をチャターして、ウルムチに行こうとなる。旅行社で予約すれば、直ぐお金と言う。信じられないのかしら、中国のやり方は汚いな。
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ウルムチの市内

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               トルファン→ウルムチ
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 トルファンの名物はラグメン(うどんの一種)なので、昨夜近くの店に食べに行くけど、そんなに美味しいとは、思わなかった。
 タクシーはきっちりと約束時間に来てくれる。昨夜の旅行会社の女性も、一緒について来ている。トルファンの街を出れば、真っ直ぐな一本道、両サイド発電の風車が、すごい数連なっているが、メンテナンスが為されてないのか、放置されたままのも多い。名もなき砂漠も通過して、何度かのチェックあり、やっと最初泊まった宿に着く。予約をしていたのに、今回は泊まれないと急に言い出す。何と言う事だろう。仕方がない,近くの5つ星の豪華なホテルに決めて、次の日の出国までの時間を、優雅に過ごしました。矢張りデラックスのホテルは居心地が良いです。
 今回の旅で中国政府の、新疆ウイグル自治区の土地の執着心は、尋常ではないと言う事を、強く感ずる。絶対にウイグル自治区を独立させる気は無く、チベットやモンゴルまでも、強引な政策を行っている。農村からの漢族を送りこみ、優遇政策で定着させている。その理由はこの地の広い砂漠地帯に石油、天然ガス、希少価値のある金属等の、莫大な地下資源が眠っている事です。以前からの住民の信仰、伝統文化、生活様式を否定し、中国政府の政策を、押し付けてウイグル族を滅亡させる魂胆ありなのでしょう。何という怖い国なのでしょう。昨今のニュースでの出来事を思うに、世界を制覇する気持ちの表れではないかと。時代のお流れと言えばそうでしょうが、その進歩と発展は、人々の心を、置き去りにしている様にしか見えない。私は過去250回以上(気に入った国は何度も)、多くの国を旅して来ましたが、こんなにがっかりした旅は、ありませんでした。もう中国には二度と再び行きたくない。
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