カシュガル→ホータン |
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カシュガルの宿は、朝食もマー美味しかったし、親切な対応に満足し、気分良く過ごせました。今日は列車でホータンに行く。相棒さんの一人の歩きが覚束ないので、車椅子を用意してくれました。駅では少しトラブルがありました。上司の女性が病院に行くように命令をするのですが、本人が大丈夫と言っていると。自分達は責任を取らないから、その趣旨の一筆を書かされました。責任逃れは、何処に国でもあることです。今の日本政府の典型的なやり方です。列車は三段ベッド、私達は下段ばかりで楽に6時間位を、過ごせました。列車の中は蒸し暑い、窓を開ければ砂漠の砂が入って来るので、開けられない。辛抱の時でした。
やっとホータンに到着し宿までタクシーで。例の如くレセプションでは、受付に時間が掛かり過ぎ、“エー加減にしないかと”私達四人は爆発寸前。ニコリともしない態度、失礼極まりなし。ホータンの宿は、さっぱり英語は通じず、何を聞いても“メイヨー”だった。
此の町は昔から玉(翡翠)の産地として、世界的に有名。多くの宝石の店が連なっている。自分には興味が無いので、寄ってみる気もない。今回の旅のメインである、ホータンからクチャまでの、タクラマカン砂漠を縦断のバスのチケットを、先ずは得なければと心は急ぐ。国際旅行社を頼みの綱で訪れるが、扉が閉まっている。警察で訪ねたのが良かった、ウイグル族の警察が、自分の車で、バスターミナルに連れて行ってくれる。有難い事です皆で感謝をする。今晩のタクラマカン砂漠縦断のバスのチケットを手に入れて、ヤレヤレ大いに安堵する。バスの時間まで夫々が自由に過ごし、何か美味しい物は無いかと、男性達は冷えたビールを求めて、散歩していました。少しの食料と飲み物を持参して、バスに乗り込みました。
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タクラマカン砂漠縦断 |
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タクラマカン砂漠の面積は、日本の国土と匹敵する。其の砂漠の中を突っ走る。アラールホータン砂漠航路は、600K位。バスの車内は三列に別れ、席はほとんどフラットに近い。夫々に分厚い毛布が有るが、カバーなく人の使ったものは気持ちが悪いので、足元に置く。ドレイバーさんは二人いて、交代をするのでしょう。遅れは何時もの事でしょうけど、数えてみたら乗客は25人位。もうすっかり暗くなり、砂漠の景色は明け方には、お目に掛かると思い、其れなら満天の星をと期待すれども、舞う砂の為か何も望めない。此の砂漠の砂は日本にも飛来し、黄砂となるらしい。途中トイレ休憩は1度だけあり、その時もパスポートチェック、写真との照合ある。何時ものこと故慣れたけども、この無駄な時間は勿体無いに尽きる。身体は大丈夫なのですが、皆咳が出る、空気の乾燥が、その原因ではないかな。朝、目が覚めれば真っ直ぐな砂漠の道路の両サイド、防砂の樹々が植わっています。タマリスと言う丈夫な木らしい。その向こうには果てしなく続く、荒涼とした大地。なだらかではなく起伏の多い砂利の丘が、延々と続く。砂漠には消えゆく大河の流れが、多くの栄枯盛衰の民族の、移動を繰り返し、駆け抜けた歴史が有る。私が経験したあのロマンチックな風紋のある、サハラ砂漠の細やかな砂の織りなす大地ではなく、こんな汚い砂漠であったかと、残念です。青空は望めず、舞い上がる砂の灰色の空でした。両サイド樹々の大きさが、目立ち始めたのが、クチャに到着した印でした。クチャでは昨日の疲れを癒すために、のんびりと連泊しましょう。何か美味しい食物を捜しましょう。
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左=クチャ大寺 右クチャ大寺のモスク
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左=クチャの旧市街 右=クチャ王宮
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クチャにて |
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クチャは観光するところが多い。明日は1日車を借り切り、観光地に行ってもらいましょう。今日は自分達でバスに乗り、イスラム寺院のクチャ大寺に行く。門搭は雄々しくでっかく、過っての繁栄を思わせる。内部はさびれた感じです。おばあさんが足を引きずり乍、モスクの扉を開けて呉れる。近くには昔ながらの街並みが残る、これが見たかったので、散策は楽しい。美味しそうな店があったので、お昼を戴く。クチャ王宮は博物館になっている。ウイグル族の典型的な建築様式。豪華な内装は華やかで、12代に渡りこの地を収めた権威を、物語っています。広い庭にはブドウが網羅しています。さぞかし収穫の時には、賑やかな事でしょう。
街を歩いていても、スピードを出したバイクが、音がしないので、危険である。大体が電動です。日本製のホンダやスズキのバイクは無い。電動に換えねば、流通に乗り遅れるのではないでしょうかと心配する。
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クチャの二日目 |
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左=スバシ古城 右=キジル千仏洞
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クチャの宿も朝食付きでしたが、中国の朝食は如何して油で揚げたり、炒めたりの野菜が多いのでしょうか。朝からこってりしたものは食べたくない。外国で日本人に合うものを、期待するのが、間違いであるのでしょう。
タクシードライバーさんは、予約した時間にやって来た。話せないので一言もない。市内から遠くない、スバシ古城に行く。亀慈国最大の寺院であった。広大な敷地から、天山山脈も遠くに見える。多くの石窟が点在して、その規模の大きさを示している。何時崩れるかもしれない土の塊にしか見えない小山は、過ってのシルクロード天山回廊の、交易路の一部であったらしい。踏み板が敷かれて、その上だけを歩くように言われるが、石窟の中に入って叱られた。70K程車を走らせ、キジル千仏洞に行く、途中の峡谷の間を走る。聳え立つ褐色の岩山の眺め、雄大な景観は、流石と思い知らされます。キジル千仏洞も大きな仏教遺跡です。少し雨が降って来た。40m崖の上にありますが、相棒さんがとても辛そうなので、登らずに下から眺めていました。
遅いが昼食をと近くの食堂に、その表には首なしで、皮を剥がれた羊が、ドーンと下がっています。何となく気味が悪い。ウイグルの肉屋さんは、日本のようにスライスした肉は無く、部分の塊で売っています。軒先には豚、ヤギや羊がぶら下がっています。相棒さんの一人が急に気分が悪くなり。其のまま車に休んでもらう。もう一つのクズルガハ峰火台をパスして、宿に帰りました。雨がひどくなってきたので、正解かも知れません。
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クチャ→トルファン
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相棒さんは元気になり安心しました。食欲も旺盛なようです。クチャにはウイグル族の典型的な建物が多い。涼しい内にと思っても、太陽光線は強烈です。近くにはぶどう棚が多く見られ、今はまだ、小さな房が下がってはいます。そしてそのブドウを、干しブドウにする乾燥室も有ります。ワインはあまり飲む人が居ないのかしら、干しブドウばかり作るのでしょうか。イスラム圏は禁酒でした。モスクが存在しても、あのアザーンの声は聞こえないです。政府はアザーンまで禁止しているのでしょうか。大きな赤いパラソルが、沢山ある露天市に行くと、肉のバザールでした。肉となった死体が、ぶら下がっているのは、不気味でした。隣が野菜と果物の市、今晩の夜行列車で戴く、フルーツを買いました。
クチャの宿を半日延長して、トルファン駅に行く。列車に乗るには、また何時もの嫌なチェックあり、如何してこんな無駄な時間と人件費の浪費、こんなことをしてなんになるのだ。中央政府のウイグル自治区への行政は無駄なことの繰り返し。大きな道路には、度々見ます。自由、平等、公正、民主、富強等のスローガンを掲げていますが、政府は此の反対を、ウイグル自治区で行っている事に、気がついてはいないのでしょうか。誰も文句が出ないように、押さえているのでしょう。
列車は空いていて、清潔そうなシーツ、枕と上掛け、私達は下段を得て、気持ちよく休めました。朝早くトルファン駅に着けども、駅前にはタクシーの姿が無い。後で気がついたことですけど、多分郊外のトルファン駅に着いたのでしょう。人気が無いはずです、バスにすればよかったのです。仕方がないのでツアーの自動車で、トルファンの中心部に行き、宿に落ち着きました。予約もなしに飛び込みましたが、何だかよい宿のようです。
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左=交河古城 中央=カレーズ 右=蘇公塔
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トルファンにて |
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宿の中に旅行社がありましたので、トルファン観光の四つの観光地を選び、車を出してもらう。
先ずは交河古城へ行く。城跡遺跡でシルクロードの天山回廊の一部である。巨大な遺跡で、新しく手を入れて造り替えたようです。まるで映画のセットが、遺したのを見物する様です。入場料が高いので、その建設費を払っているような気がする。以前旅をした時には、ロバの荷台に乘って、半日を見物し,ロバ引きの若者の家のぶどう棚の下で、お茶を御馳走になり、母親が優しい人だった想い出がある。確かに懐かしいぶどう棚は、道の両サイドにありますが、あの雰囲気は何処に行ったのでしょうか。
次にはカレーズ、シルクロードのオアシスには、天山山脈の雪解け水を、地中に通して送って来る。昔の人々の知恵と努力には感心するが、その見学に行く途中は、余りにもお店の多さ、商業ペースにもっていったやり方に、嫌気がさす。もっと自然体で、見せてくれないのでしょうか。
火焔山はトルファン盆地の中央にある東西100m南北10K、海抜500m、地殻の変動により、縦の筋入りの山肌が、大地ににょきっと現れた。以前訪れた時には、季節の違いはあるかも、もっと赤味を帯びていたのに、今は何だか薄い色になっている。西遊記にも登場する孫悟空の像があり,自然を見るだけで、入場料を取る厭らしさが、此処にも表れている。
蘇公塔はイスラム建築様式の塔であるが、その玄関にもポリスと保安員が持ち物チェック、横柄な態度に腹が立つ。外から写真を撮り、入るのを止めた。全ての観光を終えて、明日のウルムチ行のバスのチケットを求めなければと、オフィスに買いに行くが、今日はもうないとか、明日来なさいと言う。何だかよくわからないので、最後の手段、車をチャターして、ウルムチに行こうとなる。旅行社で予約すれば、直ぐお金と言う。信じられないのかしら、中国のやり方は汚いな。
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ウルムチの市内
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トルファン→ウルムチ |
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トルファンの名物はラグメン(うどんの一種)なので、昨夜近くの店に食べに行くけど、そんなに美味しいとは、思わなかった。
タクシーはきっちりと約束時間に来てくれる。昨夜の旅行会社の女性も、一緒について来ている。トルファンの街を出れば、真っ直ぐな一本道、両サイド発電の風車が、すごい数連なっているが、メンテナンスが為されてないのか、放置されたままのも多い。名もなき砂漠も通過して、何度かのチェックあり、やっと最初泊まった宿に着く。予約をしていたのに、今回は泊まれないと急に言い出す。何と言う事だろう。仕方がない,近くの5つ星の豪華なホテルに決めて、次の日の出国までの時間を、優雅に過ごしました。矢張りデラックスのホテルは居心地が良いです。
今回の旅で中国政府の、新疆ウイグル自治区の土地の執着心は、尋常ではないと言う事を、強く感ずる。絶対にウイグル自治区を独立させる気は無く、チベットやモンゴルまでも、強引な政策を行っている。農村からの漢族を送りこみ、優遇政策で定着させている。その理由はこの地の広い砂漠地帯に石油、天然ガス、希少価値のある金属等の、莫大な地下資源が眠っている事です。以前からの住民の信仰、伝統文化、生活様式を否定し、中国政府の政策を、押し付けてウイグル族を滅亡させる魂胆ありなのでしょう。何という怖い国なのでしょう。昨今のニュースでの出来事を思うに、世界を制覇する気持ちの表れではないかと。時代のお流れと言えばそうでしょうが、その進歩と発展は、人々の心を、置き去りにしている様にしか見えない。私は過去250回以上(気に入った国は何度も)、多くの国を旅して来ましたが、こんなにがっかりした旅は、ありませんでした。もう中国には二度と再び行きたくない。
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