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初(はっ)ちゃんの世界紀行――吉田初枝
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  スリランカの旅 〔2019.01.20〜02.01〕
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 スリランカは巨大なインドの南、インド洋に牛のよだれの様な形の国土で、その広さは北海道の8割位、かつて永きにわたって、ポルトガル、オランダ、イギリスの植民地時代を経て、1972年にイギリスより独立し、スリランカ民主社会主義共和国になる。スリランカの民族は、最多がシンハラ人、インドより昔から移住してきたタミル人との、土地所有権の戦いを繰り返す内戦が続き、2009年にやっと終結する。
 2007年に訪れているが、その折には北部への観光は、外務省より、立ち入り禁止の御達しがあり、行ってはいないので、今回は是非にも訪れたい。孫娘と旧友との3人での旅、PCでヴィザを得て、関空よりシンガポールでトランジット、スリランカのコロンボ空港に、深夜到着。コロンボの市内までは遠いので、近くのニゴンボに泊まり、その宿でドライバーさんと車を、10日間借り切り、移動にはなに不自由ない旅を選び、何時もの清貧な旅とは違い、大名旅行に為るかも知れない。そんな贅沢をする事が、少し後ろめたい。
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  ニゴロンボ→アヌーダブラ → ジャフナ〈2泊〉
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ルワンウエリ・サーヤ大塔
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 ニゴロンボはリゾートエリア、海岸には荒波が打ち寄せている、豪華なレストランやホテルが、沢山建っているのを横目に、今日は一気に、スリランカの最北部ジャフナまで行こうとする。運転手さんのラジさんは、トヨタの車と共に、約束時間にきっちりとやって来る。一眼で温厚で誠実な人柄と見える。合計8時間位の車移動かな。この旅での一番長い距離になる。
 サー出発です。両サイド共に、いかにも南国らしく、棕櫚の樹、ナツメヤシ、ココナツの樹、大きなソテツが青々と繁っている。ニ毛作でしょうか、コメが黄色や緑と、日本よりは短めの稲が、育っています。次々と小さな村を通り過ぎる。学校の前を通れば、子供達の制服は上下が白ばかり。活発な年頃は、1日で真っ黒になるのではないかしら。
 4時間位でアヌーダブラに着く。古代仏教大国の都、仏教はこの地から、スリランカ全土に広がった。此の町にはあちこちにダーガバ(仏塔)がありますが、中でも一番シンボル的なルワンウエリ・サーヤ大塔を見物しましょう。広い庭が続き、大塔は真っ白で、象の彫刻に囲まれている。素足で帽子を取り、暑い日差しの中を歩かねばなりません。長く続く石畳は熱く焼けています。お祈りする人々は白い衣服で、仏に対し従順と尊敬の意を表しています。
 北に近ずくに連れて、畑には大きな葉っぱの植物が、植わっています。ラジさんはタバコだよと教えてくれる。村は廃墟となった民家が沢山あります。壁には弾丸の跡があります。此処は内戦でやられた所だ、住んでいた人々や動物は、如何したのだろうか。戦いの虚しさを感じます。野良犬が其処ら中に居ます、車にひかれないかなと心配するが、犬達も車を避ける術を、身に着けている様子です。
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  ジャフナにて
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左=ナグレースヴァラム・シヴァ寺院    右=ナッツ―ル・カンダスワミ寺院

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左=ポイント・ペドロ    右=ジャフナ・フォート(砦)
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 ジャフナに来るだけで、昼間の1日を費やしたので、2日目はジャフナを観光します。宿は耐えられない程でもないけど、あまりきれいではないが、裏庭にバナナやナツメヤシが繁っています。洗濯ものを干すのには、もってこいです。朝食付きです、スリランカ独特のアーッパ(卵入りのクレープ)ヨーグルトとデザートは、バナナとパイナップル、ポット入りの紅茶はとてもおいしい。スリランカでコーヒーは野暮なこと、此処は紅茶の国である。
 観光に繰り出す、両サイドが、ジャングルの様な荒れはてた土地、廃墟が続く中に、突然大きな塔が現れる。ナグレースヴァラム・シヴァ寺院はヒンズー教の寺院で、内戦中に被爆されて、歴史は古く、内部は豪華、外は修理中です。北部はヒンズー教の神々を祀る神殿が多い。赤と金色の派手な色彩で、人々の度肝を抜くナトール・カンダスワミ寺院に行く。此処は7〜8月にかけて盛大なお祭りが行われ、世界中のヒンズー教徒達が集まるらしい。
 ジャフナの国鉄駅近くには、クラッシックカーの色々、古い列車も展示している。リスの集合住宅となり、多くのリス達が、右往左往している。未だに軍隊の駐屯地がるのか、一人の兵隊が警備している。私達の写真に納まってくれて、愛想がよい。寂しいのかも知れない。
 ジャフナの最北端、ポイント・ペドロには、海岸沿いに白い灯台が目印。海の色はコバルト・ブルー、美しく光り輝いています。小さな小屋に女性や子供達が集まり食事会をしています。白い腰巻の様な衣装をした男性達が、丸い壺を海に沈めています。その付近には烏が、沢山群がっています。人骨の灰を海に,流すのですと教えてくれる。烏が何故集まるのでしょうか。
 その近くにキーリマライ温泉が有りました。日本の温泉とは大違いで、プールの様な形態でした。
色白で眼の大きな孫は、若い男性には人気があるようで、写真を一緒に撮りましょうと、追いかけられている。日本人が珍しいのでしょう
 オランダの統治時代に建造したフォード(砦)がある。その当時は教会や病院、学校等、執務菅の住居があり、星型の堀に囲まれての強固な砦は、内戦によって破壊されてしまう。
 レストランに行くと、全てカレー味が多いので困ります。日本のカレーのように、お米の上から、カレーをかけるのではない。お皿にのせたお米の周りに、カレー味の色んな惣菜を、並べてそれをグチャグチャに混ぜて戴きます。私達は自分達の持ってきた、日本米やカンズメの方が、食べやすく美味しいのです。
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  ジャフナ → トリンコマリー
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左=トリンコマリーの海岸    右=トリンコマリーの果物市場
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 ジャフナよりトリンコマリーの道路は、とても素晴らしく整備されている。道筋には多くの湿地帯が有り、白鷺のサンクチャリー、緑の森を背景に、舞う姿は一服の絵になる風景。其処にも戦車の残骸や、まだ地雷を撤去していない区域もある。戦没者の慰霊碑を見れば、26年もの内戦の傷跡は、多く残っていて悲しくなります。稲作の田園地帯も続きます。スリランカの主食は、お米であることに気がつきます。途中の休憩を入れても3時間半で、トンコマリーに到着する。孫が風邪気味であるので、早く休ませたい。今回の宿は海岸沿い、高波が押し寄せてくるほどの近く、2階のテラス付き、天然クラーです。サーフインには最適な宿なのでしょう。孫を休ませて、ゴカナ寺院に行く、仏教寺院らしいが、けばけばしくって馴染めない。その先のコネスヴァラム寺院はヒンズー教の聖地と言われている。ポルトガルにより破壊され、御神体は海に捨てられていたが、海中より引き上げられて、修復された。日本の門前町のように、土産物屋が並んでいる。鹿が野放しになっている。町中の道路には牛や犬が、何処でも歩いています。時折運転手さんは、警笛をならしたり、ストップしたりしていますが、きっと交通事故もある事でしょう。何方が食べ物を与えているのでしょうか。可愛そうです。カンニア温泉に行きましたが、不潔な温泉でした。此処の温泉は病気を治癒する聖なる温泉と、言われているらしいが、人気が無いのかさびれています。
 市場に行きたいと、ラジさんにお願いすれば、魚市場と野菜市場が、隣り合わせになっている所に、連れて行ってくれる。夕方なので魚市場は売れ残りの魚が少し、大きなマンゴーを売っていたので、喜んで買いました。この季節スリランカのマンゴーは、終っていました。宿で皮をむいていたら、そんなに大きいのはスリランカ産のではなく、パキスタンからの輸入品だよと言われる。でも美味しかったので満足です。今晩は波の音を聞きながら、休みましょう。
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  トリンコマリー → シーギリア
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エコ・サファリの野生象
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 宿の裏口より満潮時には、直ぐ近くまで波は迫り、レース編みの模様を、楽しませてくれます。サーフィンの世界大会が、催される年もあるそうです。早朝、漁船が何隻か浜に、着地しています。捕れたのは鯵の様な魚、市場の人が昔の天秤ばかりで、値段を決めています。今朝は大漁ではなかったみたい、魚は少なかった。
 今日はシーギリア行くべく、出発します。ハバナラの途中に大きな自然の湖があり、水道の水瓶の元らしい。ミンネリアでサファリをするつもりでしたが、此の2か月雨が降り続いて、泥濘にジープが入れない。向かい側にあるエコ・サファリに象は移動しているそうです。サファリには、ツアーに入らなければならない。ラジさんが連絡を取って下さったので、ジープを待つ。入園料を払い、ジープでジャングルの中、赤土の細くデコボコ道なき道を走れば、孔雀3匹、暫くすれば、象の親子が3組ほど、ジープでなければ通れない、舌を噛みそうな道ばかり、象の姿が目立つ。猪一家、ジャッカル、そして象達、孔雀達、又象と此処には象が特に多い。大きな岩ばかりの丘もあり、頂上に登れば、ジャングル360°を見渡される。3時間のサファリは終り、ラジさんの知り合いのシーギリア近くの民家に、泊まる事になった。シーギリアの町は、随分とホテルや土産物屋、レストランが多くなっている。世界中からの観光客が押し寄せてくるのです。私達が泊まる民宿は、広い庭の中に、新しく小さな部屋2つを、建て増したようです。停電はあったが、とても清潔な宿でした。
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  シーギリア → キャンデイ
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左=シーギリア・ロック    右=シーギリア・ロックへの登り
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左=シーギリア・ロックの頂上    右=ゴールデン・テンプル
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アヌーダブラの洞窟
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 民宿の庭は多くの車の駐車場になっていた。この国は日本車がとても人気がある。ラジさん曰く、日本車は、故障が無く、燃費が良いが、高いと言っていた。朝早くに駐車していた車は、さっといなくなった。食べ切れない位の豪華な朝食を戴く、何時もの事だが、ポットに入った紅茶は美味しい。紅茶の戴き方は、最初にブラックで、次はミルクを入れて飲み、そしてたっぷりのお砂糖を入れて飲むのが、イギリス式とか、コーヒーにも言えることです。
 シーギリア・ロックは目玉的な観光地、早朝の涼しい時に、ロックへ登ろうと考えるのは、誰も皆同じ。入場料は30ドルと高価だが、この広さを維持するのですから、妥当でしょう。入口近くの博物館から見物、我先にと大部分の観光客は、シーギリア・ロックへと向かう。見る限り凄い人の数。その中でも大声で口々に喋り、旗を先頭に大勢が行列に、割り込みを掛ける中国人の観光客。手招きで友人を行列に入れる。子供達も大きな身振り手振り、公共の場所の礼儀を、少しわきまえるべきと。この親に育てられれば、どんな大人になるのでしょう。
入口からは整備が行き届いた庭園が続き、その先が大きな岩の洞窟より、登りが始まる。しっかり踏みしめて登り、段々と暑くなり、鉄製の螺旋階段は、とても怖い、下を見ない様に登ると、その上にはフレスコ画のシーギリア美女達が、半裸で現われる。いつ見ても若い美女達は、悩ましく美しい。カーシャパは父親を殺して、王となり弟の復讐から逃れて、突如ジャングルの中、岩山の頂上に王宮を建てた変人の王は、自分のことばかり、国民の事を考えた事は無かったでしょう。5世紀の後半、よくもこのような考えが浮かび、それを実行出来たものだと感心する。孤独の王は11年しか存続しなかった。フレスコ画の近くにはミラー・ウオール{鏡の回廊}がある。そしてライオンの足になっている、宮殿への階段がある。よれよれになりながら、やっと王宮跡へ辿り着く。昔の体力と、随分差があると感じる。疲れを忘れて暫し、どこまでも続くジャングルの景色に、見とれていました。宿に帰り、荷物をまとめて、私達はダンブッラに向かいました。
キャンデイ行の途中に、ゴールデンテンプルに立ち寄りました。巨大な金色の大仏様は、民を見下ろし威厳に満ちています。そして直ぐにダンブッラの遺跡がある。長く続く石段は、暑さもあり辛い登りでした。グラグラと浮石ありで、慎重にゆっくりと、周囲の緑の山の景色を眺め、一息入れては踏みしめて、やっと頂上に着けば、何時ものはだし、無帽、短パンには腰巻を貸してくれる。頂上の天然の洞窟の中には、数々の仏教説話を描いた壁画と、多くの仏様が安置されています。一番印象的なのは、第一窟の14メートル涅槃物の足の裏が赤い、仏様が裸足で諸国を歩き、血だらけなったとの意味があるそうです。2000年以上も前から、此処での祈りは続けられている。仏教の偉大な力を見る思いがしました。
近くの薬草園に立ち寄る。広い園の中、只だからと説明するガイドさんが着いてくる。最後には自社の薬味を、買わそうとする魂胆が見えて、嫌な思いでした。只ほど高い物は無いと聞いている。
ナーランダ、マータレーを過ぎて、キャンデイに入れば、車の混み具合が普通ではない、怖い位です。今晩の泊まりはニゴンボで泊まった宿の、母親が経営する宿、キャンデイの市内から、山の道を入り、静かなエリア、お金持ちの別邸が点在しています。昨年の夏に新築したそうで、気持が良い。朝食付きの値段は1000円程、スリランカの物価はとても安い。
今晩はキャンデイ・ダンスを見に行こう。キャンデイ湖の近く、私が以前観た同じ劇場でしたが、デラックスに改良され、観客数も500人位かな。以前は民族的なダンスが、今はショー的になっているが、激しいドラムの音色は魅力的です。最後には野外で、炎を口から出したり、火床の上を歩いたり、トリックショー的になり、神聖な伝統的な踊りではなく、時代の流れがそうさせるのでしょうか。何となくがっかりしました。
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  キャンデイにて
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左=仏歯寺    右=仏歯寺のお説教
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左=ぺラディーニア植物園    右=ペラディーニア植物園
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 キャンデイの宿は市内から離れ、山岳地にあるので、市内の夜景と満天の星は、素晴らしいプレゼント。朝近くを散歩すれば、丘陵地帯の住民が住んでいるところは、スリーウイーラー(オートバイに乗客させる場所のある車、タイのツクツクにそっくり)の仕事を持っている集合住宅。沢山のウイーラーが泊まっている。子供達が手作りの凧揚げに、夢中になっている。宿は近代的な大きな造りで、連泊は洗濯も出来て、朝食もゆっくりと気持ちが和みます。
今日の目的はペラデーニア植物園、駐車場は何時も満杯を、心配していたが、ラッキーに1台出て行った。スリランカで一番広大な敷地を持ち、以前は王様の宮殿と庭があったそうです。1日歩いても足りない位の広さです。最初に蘭の温室から、スパイスガーデン、シダ類を集めた温室は、常に霧を振りかけている。世界中の竹の集まり、季節の花畑、此処には小動物が顏を出す、リスや猿、多くの鳥達、そして蝶。この美しい庭をバックに、記念写真と取っている、何組かの新婚さんに、お眼にかかりました。
 キャンデイ湖の畔は美しい景色なのですが、観光客や地元の人々で大賑わい。歩くだけでも大変です。仏歯寺に行きましょう。仏教寺院の中でも大きくて、荘厳な本尊様でもある。セキュリテイ・チェックが有り、寺院の内部は多くの建物に別れていて、白装束の信者さん達が、お花や供物を捧げ持ち、お祈りをしています。信仰心篤き人々に、私達は場違いの気持ちがします。
市内を歩きましょう。仏歯寺に車をパーキングして、庶民のレストランに行くも、近頃はバイキング形式になっている。カレー味が辛すぎて、どうしても苦手です。キャンデイ・マーケットは以前、地元の人々が多かったのですが、今は観光客のマーケットになり、何でも高い。京都の錦市場と、同じになってしまった。私達には買いたいものは無い。暑さと疲れで、早く宿に帰り、のんびりとしましょう、夕飯も頼みました。
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  キャンデイ → ヌワラ・エリア→ハプタレー
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左=ヌアラ・エリアのマーケット    右=ハプタレー リプトン・シート

 私達はキャンデイの、心地よい宿に泊まりリラックスして、次のヌワラ・エリアに向かう。ヌワラ・エリアまでは、列車で窓の外の茶畑の景色を眺めながらが、売りなのですが、今では1か月前の予約可能な時期に、ツアー会社がチケットを押さえてしまい、私達は当日のキャンセル待ちの方法もあると聞くが、諦めて車でも、周囲の山岳地帯の茶畑を、充分堪能できると思います。標高1800m位までを、グネグネの山道を、登り下り所々にも滝もあります。周囲が全て緑の茶畑になり、多くの会社の持ち主の看板がある。自社をアピールして、茶の生産会社も沢山ある。其処で働く人々の粗末な住宅もあり、集落を作っています。セイロン紅茶の製造工程を、見せて呉れます。試飲も有り、或る1社に寄ってみれば、矢張り最後には自社の茶を、買ってほしいだった。此のヌワラ・エリアはイギリスが統治時代には、上級官僚の夏の避暑地であったので、当時の名残り、スマートなイギリス的な建物が点在しています。庶民の市場はとてもきれいです。泊まっている方も買い物に来るのでしょう。お腹が空いたので、小さな地元の人々の食事処で、戴いたチャーハンと焼きそばは、とても美味しいものでした。
ヌワラ・エリアは観光客が多いので、今晩はハプタレーを目指そう。茶畑を過ぎれば、今度は野菜畑が続きます。気候、日当たり、土壌、霧、茶が育つと言う事は、野菜も良く育つのでしょう。キャベツ、キュウリ、ナス、トマトピーマン等、日本と同じ野菜が育っています。私達が行くハプタレーも、茶の産地らしい。
ハプタレーに着き、丘の上にある景色抜群の宿を、見つけました。山の斜面にへばりつくように家屋が建っています。観光客はいません。グルーと一回りできる位の小さな町です。“チャイナ?
ニーハオ“と呼ばれて、ムッとする。”ノー、ジャパニーズ“と強く言う。そうすれば、皆にこりとして、手を挙げてくれるのは嬉しい事です。
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  ハプタレー → テッサマハーラーマ
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左=ナイン・アーチブリッジ    右=テッサマハーラーマ村の子ども
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 ハプタレーの宿は、残念な事にホットシャワーが、途中水になったりした。次の朝の霧に包まれた雲海の景色は、水墨画の世界、少しずつ赤味を帯びてくる様は、夢のようでした。小さな黒猫が部屋には行って来ました。人懐っこい可愛い子でした。
 ハプタレー付近の山々は、かの有名なリプトン紅茶の、茶畑もあるそうです。イギリスのトーマス・リプトン候により、ジャングルを開拓して、大規模な茶畑を作ったらしい。昔からある歴史的な紅茶工場のある、ダンバッテンの工場まで車で行き、リプトン・シートと呼ばれる茶畑のビューポイントまでは、スリーウイーラーでしか行けない。多くのドライバーさんが待ち構えている。赤土の細い道を、山登りだったり下りだったりで、周囲の景色を見る余裕などなく,生きた心地はしない位怖い、眼を瞑って居ました。イギリスから連れてこられた労働者が、親代々紅茶工場で働いている人々の、集落がある。リプトン・シートに着けば、正に茶畑の山ばかりが、遠くまで続きます。京都の宇治とは比較にならない程の広大さ。リプトン候の彫像も椅子に座っています、観光客はその横に座って写真を撮っています。
 イギリスの統治時代に造られた、ナイン・アーチブリッジを見物に。紅茶を運ぶために造られ、今も現役で走っています。其処も車は入らない、スリーウイーラーの出番です。行ける所まで行き、其れからは滑りそうな山道を歩き、非常に危険な絶壁の上から、鉄橋を眺めます。多くの観光客が線路に降りて、カメラ片手に、列車が通るのを待っています。丁度運良く骨董品の列車が、のんびりとやって来た。時間を計って、この列車を見せたかった、ラジさんの思いに感謝します。
 ヤーラ国立公園のサファリをするために、テッサマハーラーマに泊まるつもりです。サファリは早朝しか行われない。道すがらバファローの牛乳で作られるヨーグルトが、とても美味しいから、食べに寄ろう。多くの場所で素焼きの容器に入った、ヨーグルトを売っています。ヨーグルトに蜂蜜を掛けて戴きました。自然な味で何よりの美味しさでした。テッサマハーラーマは通称テッサと呼ばれている。サファリの基地としての村です。ラジさんにお任せして、宿もサファリも予約してもらいました。今夜の宿は、1階完成していますが、2階は未完成。近くには新築中のホテルが多い。そんなにお客さんはいないようなのに、採算が取れるのかしらと疑問に思います。田舎の村も観光化の波は押し寄せて来ています。明日5時にはサファリのジープが、迎えに来るそうです。弁当と水はサファリ代に、含まれている。
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  テッサマハーラーマ → ヤーラ国立公園 → ゴール
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左=クジャク    右=大トカゲ
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左=水牛    右=スリランカひょう
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 此の町の人達は、私達に優しく接してくれる。食事をしに近くの店に行く途中、村の人々の住居の中を通ります。珍しもの見たさでしょうか、家族一同が表に出て、よく来たねと言いたげです。
 早朝5時には大きなジープで、背の高いイケメンの若者が迎えに来ます。ヤーラのサファリの事務所までは、13キロあり、街灯もなく細い真っ黒なオフロードの道を、時折犬や牛達に出くわしながら、事務所前には凄い数のジープの列。何処からこんなにものジープが、集まってくるのでしょうか。入園料を払い、やっと門の中に入れる。この大きな動物保護区には、動物がジャングルの自然と共存するように、手を加えてはいません。細い道を作っただけの事らしい。水辺が沢山あるらしい。最初に象の家族が食事中、小象を連れての自然の姿が、近くに見られる。孔雀が美しい長き羽根を、引きずっています。何匹もいて羽根を広げて欲しいけど、そうはうまくはいかない。猫の声に似た甲高い声を初めて聴きました。水辺には白い水鳥やサギ、猪の集団、沢山の水牛が水の中、マングース、大きなトカゲ等そして、希少価値のあるスリランカ豹(レオパード)が3匹、ジープの横を悠々と歩く。多分親子なのでしょう。ラジさんも以前1匹は見たけど、3匹も見た事は無い、私達はラッキーだったのでしょう。3時間をジャングルの中、赤土の埃を浴びながら走り、最後はインド洋に面した休憩所で、サンドイッチを戴き、宿へと帰りました。
 ゴールへと向かって走ります。マータライ付近は、賑やかな町になっています。高速道路を走りゴールには早めに到着しました。ゴールの繁華街の中の、古びた宿を選び其処に決めました。
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  ゴール → コロンボ
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ゴール
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ゴールの町は観光客が大変多い。以前は植民地時代のポルトガル、オランダ、イギリスの建物が城塞都市の風情を残し、コロニアル風の不思議な雰囲気がありました。それらがリニュウアルされて土産物屋、レストラン、ホテルと次々に新しくなっている。港町として発展してきたので、歴史は古く、統治された時代から、強固な砦をインド洋に面して残しています。砦が旧市街となり、その内部は観光地として、栄えています。他の地域と違い仏教的なダーガバは無く、教会が眼につく。
 砦の中にも学校があります。生徒の制服はスリランカでは、上下白一色が不思議でしたが、ラジさんの説明では、教育と医療は全て無料、制服も教科書も政府が無料配布する、それで納得する。
私達は砦の上を朝に夕に散歩しました。インド洋の大波が、静かに強く砂浜に打ち寄せてきます。水平線の彷徨を見つめると、永遠とはこの様な風景を、言うのだろうかと、思ってしまいます。
泊まった宿は何代にもわたる古い館なのでしょう。家庭的でしたが、蚊帳を吊っても、蚊にやられました。朝食は豪華、何処でもですが紅茶は、ポット入れられて出してくれますが、それだから美味しいのでしょうか。ポットの中で少しの間、蒸すのがその忽らしい。宿の前はお店ばかりですが、値段が観光客価格なので、とても高いです。もっとゆっくりと居たいのですが、その余裕がない。
 今日はコロンボに向けて発たねばなりません。その途中、つなみの被害を受けた人々の、写真館に立ち寄りました。日本と同じく天災による被害の恐ろしさを、改めておもいおこしました。白い亀を保護している施設にも、立ち寄りました。ボランテイア人々が、世界中から集まっています。私達にも寄付をして欲しいとの思惑でした。3時間かけてコロンボに着きましたが、其れからが大変、市内に入るのに交通渋滞が、日常茶飯事らしく、どうにもなりませんでした。もうコロンボでの観光は止めて、デパートや普通のマーケットに行きましょう。
 スリランカの旅は、気候に恵まれ、温厚で私達の希望を、叶えて下さるトライバーさん、何の不満のない旅でした。この国の人々は、シンハラ人とタミル人との永き民族の戦の末に、今の平和を得て、如何に戦争が無意味であることを、知ったでしょう。これから先も平和でありますように。
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