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初(はっ)ちゃんの世界紀行 ――吉田初枝
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フィリピンの島々を巡る旅(12/3~12/13) [2019.12.03~12.13]
 師走に入り何かと気せわしない折に、旅に出してもらえることを、感謝し乍出発しました。フィリピンのルソン、パラワン島は以前旅したことはあるが、まだ見ぬ島の多さは、計り知れない位の群島国家で、その数7000以上、名前有は4600位、住民が居るのは1000程、さてどんな旅が待っているやら、不安と楽しみが入り混じっています。  今回は九州の御夫婦と一緒させてもらう。彼等は福岡空港からマニラに、私は関空よりのトランジットで、マニラにてお会いして、セブ-マクタン空港に到着。セブには国際空港は無く、マクタン島しかないのです。夜遅くの到着は、ホテルへと一直線。幹線道路にはクリスマスの飾りつけが輝いています。
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ラブラブの像

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 このホテルはB&Bなので、朝食は品数少ないが、とても美味しいものでした。マクタン島は今日1日だけの観光ですので、直ぐに主な観光地に繰り出す。乗り合いバスの代わりのジプニーは、ドライバーさんに目的地を告げれば、イエス・ノーで応えてくれる。近場であれば、大体8ペソ(20円)、マゼランがセブ島に上陸して、侵略を続けていくが、マクタンの酋長ラブラブは、スペインの植民地支配に対抗し、マゼランを殺害する。この地の英雄として讃えられ、大きな像が在る。隣にはマゼランの記念碑が、同じく海の方向を向いている。敵対する人物も過去の人となれば、仲良く出来るのでしょうか。其処が大きな公園となり、地元の人々の、憩いの場となっているようです。近くの湾が干潟になって、貝を取っている人が居ます、今晩のおかずになるのかしら。近くの魚市場にカニ、ナマズ、貝等を養殖し、調理して食べさせてくれるそうですが、薄暗くジメジメしていて、何となく不潔感がある。テント張り土産物の店がズラーと並んでいます。客引きはしつこくはない。中年の男性がボランテイアと言ってはついてくるが、悪い人ではなさそう。この島のニュータウンまでを、案内していただき適当に断った。現在あるコンドミニアムやデラックスのホテルや施設の隣に、大規模な開発は進んでいます。重機が大地を掘削しています、地面は珊瑚礁が、石灰岩になった地層のようです。大昔、此処は海の底であったのでしょう。公共のニュータウン・ビーチに行く、白き砂のビーチです。波高く風が強い今日は、泳いでいる人は居ない。子供達の遊具もあり、良く整備されています。暑い日には、地元の人達のレジャーとして、家族連れで騒々しいことでしょう。 夕食はマクタン島で日本人経営の店に行く。マクタン島内であれば、送迎つきと有ったので、そこを選ぶ。結構美味しい日本料理でした。こちらに住んでいる日本人には、人気のお店ですが、地元の方には、敷居が高いようです。其れだけ設備が豪華で、日本の料亭そのものでした。
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                 マクタン島→セブ島
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左=サント・ニーニョ教会    右=サント・ニーニョ教会の内部

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左=カルボン・マーケット    右=ペドロ要塞

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 セブ島は、アイランドリゾートとして、世界中に有名です。白いビーチと珊瑚礁の美しさには、虜になる島でもある。1521年のマゼラン上陸以来、スペインの統治が始まる。キリスト教を全土に普及し、食文化、建築様式に影響を与え、フィリピンの独立迄、スペイン化は続いていった。 セブ島までは車で行ける。マクタン島より、巨大なアルセロ・ファーナン橋を渡り、セブ島に入る。未だに戦後のバラック建ての古民家もあるし、コンドミニアム、ホテル、ショッピング・センター、モールなども連立して、その格差には驚く。直接セブのホテルに送ってもらうが、チェックインには早いので、荷物を預けて、観光に出掛けます。乗り合いバスのジムニー(中型のミニバンを改造して、後部座席を二列の縦長の座席で、15人位乗れる)ドライバーさんは助手も兼ねているので、お金のやり取りは面白い。地元の人は、フロントガラスに行き先が書いてあるが、先ず行き先確認、乗車してからお金を、次々と手渡しドライバーさんに、お釣りもそうして返って来る。 セブ・シテイのメインはサント・ニーニョ教会。ジムニーは近くで降ろしてくれる。フィリピン最古の教会の一つ、多くの信者さんで、混んでいます。教会は旅する人にとって暑さを凌ぎ、心落ち着かせる絶好の機会を、与えてくれます。内部はステンドグラスの美しさ、静かに聞こえる讃美歌の調べ、旅人にはホッと一息、有難うございます、御礼を言って立ち去ります。近くにはマゼラン・クロスが有ります。1521年にマゼランが十字架を納めた。奇跡を起こし、万病に効くと信じられ、此のクロスは削られたそうで、今は其のクロスには、頑丈なカバーで、覆い被せてありました。私達を見て直ぐに、チャイナ?コーリア?最後がジャパン。如何して3番目なのと、何時も不満に思うけど。ジャパンに頷けば、その反応は何方も、微笑してくれるのが救いです。有難いです。 地元の人達に聞きながら、スペイン統治時代のサン・ペドロ要塞に行く。イスラムの海賊からの守りの為に造られ、アメリカ、日本軍の統治の時代変遷により、その用途は夫々ですが、現在は住民の公園となっていて。憩いの一時を与えています。 ジムニーでカルボン・マーケットへ、港町なので魚貝類は新鮮そのもの、野菜、果物、生活用品バライテイに富んでいる。セブ・シテイの台所です。物価は安く、日本人の年金暮らしでも、余裕もって暮らせそうです。夕方アラヤ・センターに行く。地下1階から4階までの吹き抜けで、アメリカ的なショッピング・センター。こんなに大きなセンターは、京都ではお目に掛かりません。各自、自由に歩き回りました。明後日に渡るボホール島のチケットも、旅行社にて求めました。夜が更けて来て、ホテルに帰るタクシーのドライバーさんは、不慣れな様子、やっとたどり着き。夜の外出は怖いと思い知りました。
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                   セブ・シテイにて

 泊まったホテルは中心街にあり、何かと便利ですが、夜のドライブは少々危険が一杯。信号が少なく混雑の中を、ドレイバーさんは上手に切り抜けていきます。日本では考えられない位、皆運転が上手です。セブ・シテイでの2日目は、昨日行けなかった観光地へ、いざ出陣します。  ヤップハウスは中国人の商人ヤップ氏が、17世紀後半に建築した邸宅。2階建ての木造建築、多くのキリスト教関係の装飾品が、部屋中に飾られていて、地震でも起きたらどうなるのだろうかと。余りの多さに部屋が狭く感じる。裏にある小さな庭に、ハーブを奏でる少年が、気持のよい曲を聞かせてくれるのが、暑い日差しに涼しさを与えてくれました。  カサ・ゴロルド博物館は、少し奥まった所に、静かに密やかに建てられた、フィリピン人司教師のジュアン・ゴルド氏の家屋。全てが木製で、磨かれた無駄のないスマートな造り、若い美人のガイドさんがついて来て、説明を受けます。最後にはビデオも見せていただきました。ギフト・ショップも充実しています。  外は焼けつくように日差しが激しい。地元の人に聞きながら、スペイン統治時代の刑務所ムサオ・スグホに行きました。刑務所は博物館になっていて、セブ島の歴史を説明する展示物を並べています。日本軍が使用した軍服、銃、飯盒、水筒等も展示してありました。此処の従業員さん達はスマフォばかりをいじっています。少し説明位は為さって下さい。白いプルメリアの花が、満開でした。あの甘酸っぱい香りが漂って来ます。  ジプニーでロビンソン・ギャラリーにショッピングを見物に。欲しいものは無いのですが、人々の様子と、どんなものが売られているのかが興味ある。別棟に海鮮料理の専門店が有り、其処で戴いた大きなエビとマッシュルームを、ガーリックで炒めているだけのものですが、何とも言えずの美味でした。マンゴーのスムージイも。多くの国の名物は食した心算ですが、こんなに美味しいものには、めったに出会う事は無い。忘れられない味になりそうです。明日のボホール島で、お薦めのペンションを予約してもらう。相棒さん夫妻は、ボデイ・マッサージを受けていました。明日はどんな島なのか、楽しみです。
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          セブ島→ボホール島



 本日は行動日、ボホール島の観光は南部に集中しているので、最大の町タグビラランを目指す。お昼過ぎまではセブ・シテイなので、近くを散歩する。 セブ島での極普通のホテルに泊まると、近くの地元暮らしを、垣間見ることが出来る、昔日本で何処にでもあった雑貨屋さんが今もある。子供達やお年寄りの方々が集い、世間話をしています。食べ物を求め野犬や猫がうろついています。過去の私達の生活が、小さな路地にはあります。ツアーでデラックスのホテルに泊まり、主な観光地だけでは、庶民の生活は見えない。昨夜のマッサージの整体師の婦人は、主人は日本に出稼ぎに行っています。幼い子供二人は、このホテルのロビーで待たしてあるそうです。 セブ島の船着き場には、多くの島々への渡航を待っている人々で、混んでいます。箱に入れられた鶏が、コケコッコーと、今晩の御馳走なのでしょうか。眼の不自由な方が、マッサージを為さっていました。ボホール島行きの乗客の多さには吃驚です。300人程でしょうか、もっと小さい船だと思っていたのです。乗船すれば部屋に閉じ込められて、窓からしか外は見えません。静かな海を渡る事2時間程、ボホールの港に到着する。 ホテル選びは宝くじの様なもの、昨夜ガイドブックで選んでいたペンションは、部屋は小さく古く、何かの匂いがする。人気ないのか私達だけ、外れであった。 トライシクルでボホール博物館、コロニアル建築の市庁舎の前にあり、其処だけはゆったりしています、此の町の中心街は騒々しいですが、海沿い道路は田舎道、海を見ながらのんびりできそうですので、そのあたりのホテルに変わりましょう。スーパーも何軒かはありますが、凄い買い物客で、寄り付く事が出来ない。此処もクリスマスの飾りつけが、為されています。トライシクルのお兄さんは鋭い眼をした方ですが、何となく正直そうですので、明日の1日の観光と、海沿い歩ホテルに、荷物を運ぶことを約束しました。
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             ボホール島にて

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左=ターシャ(世界最小のメガネザル)    右=チョコレート・ヒルズ(展望台より)

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ロボック川クルーズ    

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 此の町は田舎っぽさが残っています。素朴さが嬉しい町です。道を聞いても、何時も優しく答えて呉れます。セブ島の交通手段はジムニーでしたが、此処はトライシクル(大きなバイクの横に屋根ありのサイドカーに二人、バイクの後部の席に一人)が幅を利かしている。朝8時にきっちり来てくれる。バイクの後部の席は辛いでしょう。相棒さんは想い出になると、辛抱してくれている。 道は狭いがアスファルトは敷かれていて、所々拡張あり、修繕工事もあります。1時間位を走り、世界最小のメガネザルのターシャを訪ねる。山の中を区切って、自然の儘に放し飼いです。夜行性なので昼間は、木陰にじっとしています。ガイドさんがターシャのいる場所を指さして、教えてくれます。人差し指程の大きさで、顔中が目玉で、可愛い茶色のネズミのようでした。 この島の最大の観光地であるチョコレート・ヒルズには、どんどんと山岳地帯へと、登って行きます。トライシクルには、全体が四人乗っているので、エンジンが青息吐息です。車止めで降ろされて、展望台までくねくねとした道と、階段を喘ぎながら登り切ると、360°のグリーンの円錐形の丘、神秘的な壮大な絶景が、地平線まで続いています。ヒルは1200個もあるそうです。乾期には草が枯れてブラウン色になり、其処をチョコレート・ヒルズと言う、上手な名前をつけたものです。丘のほとんどが珊瑚礁の石灰岩からなっています、大昔は海底であった証拠です。此処にも悲恋の物語があるそうです。神秘的な景勝地には、よく悲恋物語があります。どの地の物語もハッピイエンドでは、伝わらないのでしょうか。人の心理とは不思議なことです。 ロボック村の船着き場には、クルーズ専用の、多くの屋形船が止まっています。従業員に案内された船の中には、中心にフィリピン料理が、山のように用意されています。トライシクルの若者が、お昼のバイキングに合せて、時間を考えてくれたのでしょう。両サイドは深い密林になっているロボック川を、ゆっくりと走ります。私達は料理をいただきながら、歌の上手な方が、次から次へと歌ってくれる。途中の村では、子供達がダンスや歌、バンブーダンスで、歓迎のショウをしてくれました。観光化された一時を、気持よく味わいました。 最後はバクラヨン教会に立ち寄りました。丁度ミサが行われていて、静寂に包まれた雰囲気は、何方にも心の安らぎを与えてくれる。一歩外に出れば、子供ずれの貧しい人々が物乞いをしています。トライシクルで三人共疲れてしまい、今晩のホテルは少しデラックスなので、如何だかなと、期待と不安がよぎります。
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          ボホール島にて3日目



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血盟記念碑    

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 私達が泊まったホテルの隣には、スペインの初代監督レガスと、島の酋長シカツナが、友好関係を結んだとされ、お互いの腕を傷つけて、その血をワインに注ぎ、飲み干したとされる血盟記念碑がある。黒き銅像が、当時の様子を表しています。ホテルにはプールが2つあり、昨夜は海沿いのプールでは、月明かりに照らされて、満天の星の中、若者達が楽しそうに泳いでいます。設備がとても良いが、値段も高いので、何日も泊まれない。気楽そうな、近くの大きなプールの有るホテルに引っ越す。午前中でも入室OKだった。 明日のネグロス島行のフェリーのチケットを得るために、オフィスに電話で予約をして欲しいのだが、確実性に不安だったので、港まで行チケットを買いました。フェリーのチケットもホテルの支払いも、すべて現金でカードは使えない。私はカードを、外国では一切使わないのですが、相棒さんはカードに慣れているので、困ることが有ります。ヨーロッパでは、カードが当たり前、若者達は、困惑しているのではないでしょうか。島だからかも知れません。 港近くの商店街を歩きます、大きなスーパーもありますが、日曜日は買い物客で満員です。日本の企業も沢山進出しています。特にセブン・イレブンはどの島でも活躍しています。ボホール島は。若者達のリゾート地に適していて、特にアロナ・ビーチの施設は充実しているらしく、ダイビングのメッカである。私達には遠い世界です。今日は昨日の疲れを癒すつもりで、のんびりと過ごします。海沿いの大きなプールで、友人達はのんびりと泳いでいます。私は近くを散歩したり、音楽を聞いたりして、気持よく過ごしました。旅の間こんな日もあっても、良いと思います。
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        ボホール島→ネグロス島のドウマゲテイ



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左=血盟記念碑    右=ベル・タワー
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 ボホール島の美しき景色や観光地を堪能して、今日はネグロス島に渡ります。港への船着き場まで、ホテルが選んでくれたトライシクロは、快適に運んでくれた。ネグロス島では、ホテルを予約してもらったので、迷うことなくそこへ行けばよい。港では荷物のチェック、チケットの確認、保安には厳格な様子です。大波を蹴立てて、スピードボートは、多くの小さな島を後にする。子供向けの映画を見ているうちに、ネグロス島のドウマゲッテイに寄港する。ネグロス島はセブとパイナ島に挟まれている大きな島。私達が着いたドウマゲテイの半分は、学園都市で治安もよく若さ溢れる明るく自由な都市という、触れ込みにつられて選んだのです。港も今まで訪れた島よりも、とても美しい。整備された敷石の散歩道が続き、少し歩けばホテルに着いた。 海沿いに面したスペイン風の屋敷を、内部をホテルに改造し、レストランも経営し、由緒ありげな小さなホテル、木製の廊下や階段、手摺り等は磨き込まれて、歴史を感じさせる。便利で清潔であれば、何も望む事は無い。早速明日のバイス湾での、ドルフィン見物に行くツアーを捜しに、観光案内所で紹介を受けました。夕方ツアー会社の方が、説明に来るそうです。此の町を南北に走るベルデイナス通リは、何処も賑やかな人混み、町の中心にひっそりと建つ、ベル・タワーがシンボルになっています。海賊の来襲に備えての見張り台、その中にマリヤ様を祀った祠が有り、地元の人々が御参りに来ています。人々の信仰の篤さを感じます。近くの道に座り込んで、物乞いをする可哀想な親子、ギターを鳴らして歌う人達、排ガスの中に埋もれています。 シリマン大学は1901年に創立、伝統ある大学で、アジア各地からの留学生で満ちている。広い敷地は緑豊か。もっと内部まで散歩すれば良かったと、後日思いました残念です。
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        ドウマゲッテイにて

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バイス湾の船    
 ホテルの窓から、海のかなたに雲がたなびく様を見ていると、此処は何処だろう、多くの色彩が入れ混じった朝焼けは、港町だから、こんなにも美しく伸びやかに広がっているのだろう、自然の不思議さを実感している。海岸の歩道は、幅広く石畳になって、地元の人々に、朝のウオーキングの一時を与えています。何処の国も同じ事です。時折物売り屋さんが、居ることだけが例外です。 朝食を終えて昨日の旅行社の方を、待っていると車でやって来た。強面の彼の言葉は優しいですが、何となく不安がよぎる。バイスまで1時間半、随分遠いです、タンピ、タンジェイと小さな町を通りすぎます。畑も田んぼもありますが、田んぼは魚の養殖の方が多く、畑にはサトウキビが延々と植えられています。人の背丈よりも大きく広大な広がりです。砂糖はこの島の特産品です。 バイス湾の船着き場には、小さな船が待っていてくれます。船の両サイドには、安定させるための竹で出来た、フロートがついています。船頭さんと息子、使用人の3人と私達3人、6人が乗り込みます。船頭さん曰く、波が高いのでドルフィンに会えるかな。サー出港です。大波の飛沫を浴びながら、バイス湾の沖へ沖へと漕ぎ出します。黒い大きな波は、次から次へと押し寄せて、波頭は白く光って見えるのが不思議でした。木の葉のような船は、大波にもてあそばれ、ハラハラドキドキと、沈没の危険を感じます。船頭さんが、今日のドルフィンは、恥ずかしがっている。もうバックしますと、これ以上沖に行っても、ドルフィンはいないとの、彼の判断で決まりました。港にバックし乍ら進むと、突然円形を描いて、其処だけがコバルトブルーになり、何軒かの小屋が、海に中に、土台を高く組み建っています。昨日旅行社の方が、サンドバーに寄って食事ですと、何の意味かが分からなかった。その個所は浅瀬で、海底の砂が白いので、このように面白い不思議な現象が、海に中にある。其処を利用して、この奇抜な観光にもって行った発想は、海に囲まれた大自然の宝庫であることを意味しています。此のコバルトブルーの浅瀬で、泳いでいる人達もいます。私達は揺れ動く船の中で、昼食を戴きます。塩ゆでしたカニ、エビ、ポーク(これはおかしいけど)、ご飯と飲み物でしたが、新鮮であっさりとして、とても美味しい。ドルフィンには遇えなかったけど、小さな船で危険な大波乗りは、初めての経験です。何とか無事に港に着きました。帰路にネグロス文化村に、立ち寄らなかったことが、少し残念です。
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         ネグロス島→ルソン島のマニラ

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左=マニラ大聖堂.    右=サン・オウガステイン教会

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左=サン・オウガステインの教会の内部    右=絵画のお墓

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 航空で首都マニラに着く。空港は広くターミナルが4つもあるので、夫々が離れているので、間違えば、とうまわりになり大変です。ネグロス島からマニラ行の航空で、御一緒した若い男性が、私達をタクシー予約の乗り場まで、案内してもらって、大助かりでした。最後の宿は予約していた。 宿の予約は、当たり外れがあります、今回はビジネスホテルですが、当たりのようです。清潔さと便利さ、レセプションの女性も親切です。街中は群衆が右左、忙そがし気に歩き、車、トラック、バイク、トライシクルと、常に渋滞は激しいです。  マニラ地区の一番の見どころは、リーサル公園と、スペイン時代の面影を残す、イントラムロスでしょう。4つほどの島を巡ってきましたが、どの島もクリスマスの飾りつけは華やかで、人々は楽しみにしている様子です。スペインの統治時代が永かったので、キリスト教がこの国の主たる宗教、どの地も多くの教会があります。 トライシクルを借り切って、イントラムロスの中を巡ります。最初にマニラ大聖堂、7回の破壊と再建を繰り返し、ドーム状の屋根とベル・タワーが、威厳を保っている。内部は美しいステンドグラス、巨大なパイプオルガンがあります。私達は石畳の上を、洋風の建物を見物しながら次々と、通過していきます。運転手さんの片言の英語の説明付は。想像をたくましくして、理解していきます。サンチャゴの要塞の上には、歩道があります、木々の多い公園を見下ろせば、永き歴史の流れを感じます。日本軍が要塞を占領した際には、地下にフィリピン人を閉じ込めて、満潮時には、多くの人々を、水死させた写真がありました。戦争の虚しさを感じさせる。  フィリピンの医師で革命家、スペインの植民地からの独立運動の先駆者と言われるホセ・リサールが、処刑されるまで暮らしていた記念館があります。彼の使用した多くの物が展示されています。 世界遺産のサン-オウガステイン教会は、フィリピンで最も古い石造りの教会、内部は明るく大きなシャンデリアもある。大きな部屋が、四方絵画になった墓があります。手の届く所は高価だそうです。キリスト教にも、金持ちとそうでない人々の、差別はあります。東本願寺にも団地の祭壇があります。何方が先に出来たのでしょうか。真似をしたのかな。スペイン統治時代には、このマニラ地区が政治の中心であったのは、スペイン風の古い建築物が沢山残っている事から云えます。  暑い日差しの中、もう1度SMマニラショッピングセンターに、入り口で荷物のチェックがあります。形式だけのなおざりの検査。6階までどの階も、満員のお客さんです。日本でも高度成長期には、デパートは何処も大勢の人々で溢れていました。  ホテルへの帰路、マラカニアン宮殿に立ち寄りました。予約なしでは入れないと、警備員に告げられる。門より中を覗くと、白い塀、白い宮殿の数々、大きな庭は、清掃員が大勢です。テレビで見かけるあの大統領が、執務を執っているのでしょうか。こんなに優雅な宮殿には、似合わない気がします。明日早朝は帰国です。
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