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初(はっ)ちゃんの世界紀行 ――吉田初枝
 
ベトナムの旅(10/26~11/05) [2022.10.26~11.05]
 
 3年程のブランクからやっと海外に行ける。9月末の予約時には、何の規制もなく自由に行ける国はベトナムだけだった。此の細長い国には3度程旅をしているが、その時の季節、相棒さん達の個性により、またそれぞれの違った旅が出来る事が、その魅力の一つです。
 アメリカとの戦争を思い出すと、あの大国を撤退させたベトナム人の辛抱強さ、愛国心、正義感には、心打たれる。小数民族の集まりの国家であるベトナムの巨大な力でした。ベトナムの建国の父であるホーチミン氏が推し進めた社会主義は露、中国とは異なる社会主義共和国である。
 早朝の関空に旅友達の4人が集まる。丁度若きベトナム人達の集団帰国に遭遇する。労働期間の満期を迎えたのでしょうか、それとも日本円の下落で、働く価値なしかは分からないが、大きな荷物を一杯にして帰国する彼等です。ベトナムのベトジェット航空は、機内サービスは無く、座席は短く窮屈です、5時間我慢すればハノイに到着。イミグレイションの検査も何もなしに、少しびっくりする。以前泊まったホテルに決めていたので直行する。旧市街の便利な所です。
 みんな疲れていないので、ホワンキエム湖を散策する。首都ハノイは政治の中心、そのまた中心にある静かな散歩コースは、市民の憩いの場所になっている。今や観光名所の一つです。明日の観光を考えながら、散策すると、バイクの大群がやって来る。道路を横断するには決して走ってはいけない。地元の人達の真似をして、ゆっくりと歩けば、バイクが避けてくれるのが、常当手段のようです。そのコツを掴まねば、道路を渡れない。

 
1.ホワンキエム湖 2.ハノイの旧市街
ホワンキエム湖 space ハノイの旧市街
ハノイにて
 
 ホテルの朝食は以前と比べれば、質が落ちている。清潔ですが安いので仕方がないのかな。ホアンキエム湖では、観光地にありがちな二階建てバスに乗り、日本語説明を聞きながら、乗り降り自由の市内見学。自分の興味ある所に下車して、グルグル回る次のバスに乗って、4時間許されるそうです。私が20歳の頃、ロンドンで興味本位に赤い二階建てバスの屋上に乘ったら、全てが日本人に占められていた。大群のバイクや車の混雑する間を、大型バスは上手に走ります。旅行社で明日のフエ行きの列車のチケットを予約できて一安心。夫々が近くのマーケットや、お土産屋さんを散策する。ハノイの庶民の台所的な屋台は面白い。夕食はベトナム名物のフオ―を戴く。米で作った春雨に似たうどんです。熱い間に横に付いてくる多くの野菜を入れて食べます。味がマイルドで日本人には好みの味です。

3.ホーチミン氏の住居
ホーチミン氏の住居
ハノイからフエ
 
 フエ行きは夜行列車なので、ハノイでの自由時間は夕刻まである。見どころの多い官庁街にあるホーチミン廟とその周辺を見物。各国の大使館や博物館、政府関係の大きな建物ばかりが連立している。その中でも白く堂々として巨大なホーチミン氏の廟が聳えて、真っ白の制服の衛兵さんの交代を見る。以前、内部に入館して、まるで眠っている様に横たわる彼に、お目に掛かった事はあるが、今回は時間の都合で不可でした。ベトナム全土から参拝に訪れて、今日も廟の前で多くの人々が祈っています。近くの公園の中には、彼が実際に住んでいた素朴なベトナム風高床式の木造家屋があります。彼の人柄を偲ばせるには十分です。世界の富豪の人々に見せてあげたい。また近くに一柱寺があり、子宝に恵まれるご利益がありの古刹でした。静かな森の庭園は、暑さ凌ぎには良き処でした。人の口とは貪欲なこと、1度美味しいと思った食事には、時間があればもう一度と思う、美味しかったホーの店に行き、別の味のホーを戴きました。此れもまた美味でした。
 今晩の夜行列車の準備に、弁当と飲み物を。駅には案内所があったので、チケットの確認をしたいのに、受け付けてはくれず、誰も話を聞いてくれない。何のための案内所でしょうか。此れが社会主義国のサービスです。
 出発時間は守ってくれる、4人部屋の二段ベッドのコンパートメント、ホテル代込みと思えば安いのかな。(のちに旅行会社の手数料金は高いことを知りました。)寝心地は?とんでもない、列車の揺れや騒音で眠れたものではなく、寝具は洗っていない。ウイグル自治区の夜行列車よりひどい。
 12時間の過酷な牢獄でした。アナウンスは無く、隣室の人からの知らせでフエの到着を知る。ホテルを予約していたので、御迎え付きでした。日本人経営のホテル、以前泊まった時には、彼女はもっと静かな女性でしたが、今はシャキッとした奥さんになり、3つもホテルを増やしているらしい。性格も変わらなければ、他国で経営することは至難の業であろうと思う。列車の疲れから、今日は洗濯と身体を休めましょう。近くの総菜屋さんで、テイクアウトを、美味しい春巻きのお店を教えてもらう。

4.グエン朝王宮の王宮門 5.ティエム寺(7層8角形の仏塔)
グエン朝王宮の王宮門 space ティエム寺(7層8角形の仏塔)
6.ドゥドゥック帝陵 7.線香の手作り
ドゥドゥック帝陵 space 線香の手作り
フエの観光
 
 私達はフエというが、この国の人達は首をかしげます。フの発音はホと言った方が、よく通じました。フエの主たる処を3か所ほど、車を借り切って回ってもらいましょう。運よく元日本語のガイドさんだった方が運転手。
 先ずはグエン朝王宮を、13代の長きに渡り統治した、古き都の姿その儘を残している王宮は、広大な敷地の中にある。東西南北に大きな門があり、紫禁城を真似して造られた堂々とした王宮門でチケットを求める。ツアーの大勢の観光客が、夫々の旗のもとに入場する。何処の国かな?日本人の方々にはお目に掛からない。敷地には二重の土塀があって、王宮の管理職の人々が、その当時から住み着いているそうです。内なる塀には、夫々の用途に応じた数々の宮、廟等が今も其の儘にある。その時代の歴史的価値のある骨董品の博物館になっている。如何に長期に渡り政権を納めたかが覗える。以前訪れた際には、門の傍の大きな池には、凄い数の大きな鯉がいたのに、今はアオミドロの濁った池。運転手さんは先日の水害で、池もやられて、生き残った鯉は他の場所に移されていると聞いた。
 テイエム寺はこの国の仏教最古の寺で、天女の伝説がある。7層8角形仏塔があり、各層には仏様が安置されている。静かな佇まいのいかにも天女がいたような雰囲気がある。近くにフオーン大河が流れ、遊覧船が沢山泊まっている。船からのこの仏塔の眺めは、さぞかしであろうと想像をする。小雨が降って来た、敷石が滑りやすいので、老人の4人は気をつけましょう。この寺の天女様が守ってくれているのかも知れません。
 ドウドック帝陵
 人影もなく、静まり返っている。入場すると大きな池があり小さな家屋がある。4代目の皇帝ドウドック帝の陵というよりは、風雅な別荘の佇まいである。池に小舟を浮かべては、美女を侍らせて、月見で一献傾けたであろう。政務を離れて、春夏秋冬の季節を味わい、余生を楽しんだかもしれない。皇帝の功績をたたえた大きな石碑もあった。後の世にも慕われたことは、名君であったのでしょう。帰路の途中、色とりどりの線香を作っている、家内生産的なお店に寄りました。手作りで線香を作っていました。サー明日はホイアンに行こうとする、バスのチケットの手配も出来た。
 フエの街は、いま道路工事が盛ん、重機で掘り返しています。のんびりとは歩けない。近くのお店に行くにも夜は危険が一杯。足下が危なくって、ライトを持ってきてよかった。
 私は独り近くを散策する。今夜は何を戴こうかな。美味しい店探しは楽しみの一つ。一見すれば意外と見当は当たることが多いのです。ベトナム名物の春巻きを戴いてみる。透き通った春巻き皮の中には野菜やエビ、カニ肉などを好みで巻いてくれる。其れを色んな味のタレを、小さなお皿で横に付いている、そのタレにつけて戴く。タレが美味しさの決め手のポイント、野菜はバナナの花の部分の場合もある。我が家でも真似してみようかと思います。

フエ→ダナン→ホイアン
 
 フエの早朝、地元のレストランは早くにオープンしている。レストランというよりは飯屋さんが適当、主婦は朝食を作らないのかも知れない。社会主義の国、男女同権、女性も良く働く。バイクに乗っているのは女性も多い。飯屋の店先では、おもちゃの様な小さなイスやテーブル。お皿には何かの食べ物を掻き込んでいる。行儀は悪いかな、意外にもどの店も繁盛しています。各家族にお抱えの飯屋さんがあるのでしょう。座れば同じ定食が直ぐ出てくる。
 ホイアン行きのバスが、ホテルまでピッキングに来て、大型の3階建てのバスで、靴を脱いで寝ながらのシート。乗客は若い外国人ばかり。ホイアンまでは3時間掛かる。途中ダナンに寄るらしいと聞いて居ます。
 ダナンの海岸沿いを走ります。海水が茶色の大波が凄く激しく押し寄せてきます。此の海はサーフインのメッカなのでしょうか?海水が茶色というのが気になります。美しいリゾート地にしては、何だか変です。ダナンの海は天然の良港で、昔から国際貿易港として栄え、ベトナム戦争時には、アメリカ軍の最大の基地があった。今では高僧ビルが沢山建って、近代的な街の様相をしています。気持ち良い海岸を通り過ぎて、ホイアン着は道路上。暑さの中ホイアンのホテルまで、タクシーで向かう。ホイアンの地形は思い出すことができるほど簡単です。

8.ホイアンの日本橋 9.朝日昇る
ホイアンの日本橋 space 朝日昇る
10.早朝のホイアン 11.チャン家の祠堂
早朝のホイアン space チャン家の祠堂
ホイアンにて
 
 ホテルは中心街に近いので、散歩がてらに繰り出せば、何と観光客の多い事。各国のツアーのお客さんがゾロゾロと、ゆっくりと歩くことは出来ない。自分の店へのお誘い、人力車(シクロ)バイク、遊覧船への勧誘、そして店の多さ。何だかとんでもない所に来たみたい。此処も沿岸都市、中国、インド、アラブを結ぶ中継貿易港として栄えた。昔日本人も住んでいた、日本橋が残っています。その後は中国の華僑の人々が遺した中国的な建築物の街並みが、ユネスコの世界遺産となり、現代は観光の目玉です。以前、建築物の内装や資材を見学しているので、今回は素通りする。後に造られた建物の壁の色が、黄色に塗っています。黄色はラッキーカラーとして好んでいる。街の通リ全てが、色んな店になっています。この地の名物、ホワイト・ローズ(白い花びらの中にエビのシュウマイに似ている)を戴こうと、静かな店を捜しました。矢張り味付けのタレが、美味しさを決定しています。ホイアンはランタンが有名で、ランタン祭りもあるそうです。街の上空には、カラフルなランタンの羅列です。ホテルの照明も、ランタンになっている気配りが心憎い演出です。
 次の日の早朝、この地の昨夜のビールで、皆さんよく眠っています。一人で散歩が常の事で。昨日の大勢の観光客は、何処に行ったのかしら。路地を歩けばその地の人々の素顔が見える。静かな佇まいの中にも、人の生活が見える。トンボリ河の向こうに朝日が昇る様には、うっとりとする。人気のある観光地を、カメラに撮るのはこんな時かな、日本橋を渡って向こうの町まで歩く。犬は放し飼い、手を伸ばせば寄って来る。猫は見ていない。時が過ぎればバイクの前後に、子供達を載せた通学の親達の行列が、凄い速さで走る。年寄りの姿は余り見ない。或る人の話では、この国はカカア天下の国だよと、流石女性が強くなければ、国家は発展しないと。微笑ましく同感します。

ホイアン→ハノイ
 
 ハノイに帰るらしい、今度は空路で。ホイアンには空港は無いので、ダナンからです。今回の相棒さん達は一つの場所から動かずに、デラックス派の滞在型です。私は移動型の庶民派です。考え方の相違がある。私はもっと他の地を訪ねたい気がします。多数決では仕方がない。ダナンまでは車で45分、1時間20分でハノイに到着、何時ものホテルの4人部屋に落ち着きました。
 市内の市場歩きは、その地の人々の食材の集まり、意外にも総菜屋さんが多く、女性も働いているので、夕飯の1品を、此処でテイクアウトして、帰路に着くのが極、普通の生活らしい。私も美味しそうなおかずを買ってみるが、味が濃く苦手でした。

12.ドウオンラム村 13.ドウオンラム村の家屋と門
ドウオンラム村 space ドウオンラム村の家屋と門
14.村の結婚式に向かう 15.村のお寺
村の結婚式に向かう space 村のお寺
ドウオンラム村
 
 相棒さん達は土産物を買いに、ドンスワン市場に行くらしい。私は何時も土産物を買わない主義ですから、興味はないので、別行動をする。ホテルの車で、数百年前の民家や寺や井戸が、残っている村があるそうで、其処を見学に行きましょう。
 約束時間に彼はやってきます、ベトナム語以外は何もしゃべれないそうです。ハノイ市外に行くことは、とても時間が掛かる。丁度通勤時間であったのが悪かった。西へ50キロが2時間もかかる。緑の田園地帯の中に、ポツーンとその村は在る。この村は5つの集落から成り、先ずは入村料を支払う。複雑な道らしく、迷子にならぬように、余り奥までは入らぬように。或る鄙びた家の玄関前に座った老女が、家の内部を見せてくれる。暗いが意外と整理されている。台所は竈ではなく、ガスレンジです。私と年齢的には変わらないと思う。歳を経れば、その人の生きざまが、顔に現れると、祖母から何時も言われていた言葉です。此の老女はとても爽やかな御顔をしている。きっと健やかな生き方を為さったのでしょう。御礼にキャラメル一箱を差し出すと、直ぐに押し抱いて口にしました。各家々の玄関が凝った彫刻や、屋根や窓にも個性があります、お酒(どぶろく)や味噌を作っている処も見受けられます。レンガ敷きの小道をトコトコ歩いていると、結婚式に出掛けるところに出くわす。女性達はベルベットで、裾に刺繍をしたアオザイの民族服で華やかな装い。男性には民族服は無いのでしょうか。花嫁さんはウエデイングドレスでした、この村は貧しさ故に、自分の家を新築する力が無く、そのままの暮らしが今に至り、皮肉な事に、其処に独特な伝統が残こる事に為ったのでしょう。家屋を修理するに、ビニールの波板で囲ったり、ベニヤで隠しているのは不細工です。市や国の援助が、まだ届いていないからでしょう。2時間程歩き疲れ休んでいると、土産物店の若い人達は、皆スマホをいじっています。近代化の波はこの村にも、やって来ているのを実感します。この村での気になる事は、トイレの使い方が、いくら考えても,分からない事でした。
 ホテルに帰れば、相棒さん達が深刻な顔をしています。一人の相棒さんが、ホイアンのホテルの枕の下に、別の財布を置き忘れたとの事、こんなことは初めての経験です、フエの彼女にも電話をして頼んだけれども、現金では見つかるはずはなく、直ぐその場で警察に駆け込むとか、置き引きやスリにやられたなら、警察の証明書が保険の為には必要です。自己責任と言うべきなのかな。御気の毒ですが、為す術はないのです。
 次の日は何時もより寒いと感ずることは。昼間は暑い位に天気が良いと思う。ベトナムの人々には、何となく親しみを感じます。でもお互いが話している様子は、激しい口調です。朝の歩きで、ホテルの周辺は、顔見知りになりそうです。今回はハノイで一番驚いた事は、以前のマッサージ屋さんが、旅行社に変わっている事です。旅行社が目白押しです、何も機材が必要な訳でもなく、簡単に店は開店できるのです。其れだけ観光客が多くなったのでしょう。マスクを付けている人もなく, 付ければ目立ちそうです。日本人ツアーの観光客は、まだ一度もお目に掛かってはいない。
 深夜の帰国便なので、時間たっぷりある。ホアロー収容所の見学に行こう。ベトナム戦争時の、人民軍の捕虜収容所、館内は人形を使って、その様子を再現しています。下水道から脱走した事実を示す、その現物を見学者に晒しています。痛々しくって悲しい。ベトナムの歴史に残る深い傷跡として、歴史的遺物として保存されています。後の世にアメリカ軍の収容者達は、皮肉ってハノイ・ヒルトンと呼んだらしい。気持ちを明るくするためにホワンキエム湖に向かい、ベトナム名物の生春巻きやフライにした春巻きを、のんびりと味わいました。この旅では、ベトナムの名物料理を、沢山戴いた気がいたします。何時もはその地の料理は、口に合わないのが多かったのです。
 今回は移動を好まぬ方々と、御一緒したので、どちらも不満があった事でしょう。矢張り意見が合うお方と、旅をするのが好ましいと思いました。関空への帰路はたったの4時間、気流の関係で早く到着するが、関空では電車での復路を歩きで、イミグレイションで何だかわからぬ書類や、各々職員の質問、水際対策とはこの事でしょうか。説明が何もないので、訳が分からない。面倒なら大きなボードで説明を書いて下されば、理解できるのに。1時間近く待たされる。行政の為さり方には親切心がない。
 
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