車をチャターして郊外のデビット・ホウルに。フェワ湖の水が、岩壁の穴に吸い込まれ滝となる
奇妙な流れは、激しく水蒸気をまき散らし、多くの見物客を集めています。雨の後で足元が不安定でした。タシリン・チベット村は、チベットで動乱が起きた時に、ネパールへ逃げた難民を、政府が保護して村を作った。ジュータン工房で、多くのジュータンを展示即売しています。現代風のデザインの物もあるが、送料が高く、送れないでしょう。
相棒さん達は許可証が不要のダンプスから、オーストラリアン・キャンプまでをトレッキングするのを予約していました。
昨夜は凄い夕立があったけど、朝はピタリと止んでいます。オーナーさんが、登山口のカーレまで車で送って下さるらしい。私にもサランコットを、見せましょうとのお誘い、有難く乗り込む。サランコットまでの途中、雲の合間にアンナポルナ南峰とマチャプチャレ山頂を少しの間、拝むことが出来ました。サランコット(1592m)に着けば、ポカラの町の遠望と、張り切り小母さんが椅子を勧めて下さる。日本人と分かればどの国でも、笑顔で接してくれる。曲がりくねった道の奥にも、人々の暮らしはある。ノーダラを越えたらカーレで、彼等は元気にトレッキングに出発です。私は其の儘、宿に帰ります。帰路の途中別の道を通ります。オーナーの友人がヤクのミルクで作ったチャイを御馳走してくれる。矢張り普通のチャイとは一味違った、濃くのある旨味でした。
若き頃アンナポルナ内院まで、トレッキングの折のガイドさんであった彼に会いたい。彼は大いなる夢を持って居た。彼の誠実な態度と努力があれば、きっと夢は実現すると確信していた。次に会った彼はレストランと大きなアパートを経営、レストランはとても盛況で、多くの努力が見られた。彼の商才は花開いていた。レストランのすぐ横に、ホテルを建てると、その土地も見せてくれていた。しかしながらこの長引くコロナ禍の影響で、レストランは銀行に、アパートは人手に渡り、唯一残ったのはホテルだけ。神経が少しおかしくなって、3か月入院していたと話す。忘れずに訪ねて来てくれたのを、彼は非常に喜んでくれました。
次の日、フェワ湖をグルーリと散歩しました。以前とはあまり変わっていないが、矢張りコロナ禍の弊害は、多々あります。売れずに埃を被り、色あせたお土産の品、閉鎖した店、観光客が居ない道を、懐かしく想い出しながら歩きました。昼には彼の家に招待されました。傾斜を利用した新築の家、奥様の意見かな、台所がとても広い。16歳の娘さんとは8歳位の時にお会いした。彼女は覚えてくれていた。13歳の息子さんは恥ずかしがり屋さんのようです。奥様の作ったネパール料理を御馳走して下さる。彼の苦渋の経験は、きっと何かを得たと思うし、彼の今後の一皮むけた姿を,何時か見る事が出来るだろうか。彼が疲れを解してほしいと、アーユーヴェダーのマッサージを、プレゼントしてくれるが、戸惑いと恥ずかしさと、オイルの気持ち悪さで、早く終わって欲しいだけでした。宿に帰れば相棒さん達は、疲れも見せずに、元気に帰っていました。トレッキングの話を聞くのが楽しみです。
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