写真集(レトロ) |
一枚の写真 京都北山桟敷ヶ岳の山頂での記念写真である。この写真は会報にものせられたもので昭和40年ころのものと思われる。 会の設立当時の幹部のほとんどが参加した記念山行と思われるが、くわしくは記憶していない。平成19年にあの世へ旅立ってしまった入会間のない若い山本豊明君が左端にみえる。 松井仙之佑君とすでに結婚している奥さんの姿も前列左端にみえる。千田君と結婚した森さんもその右側に4人並んでいて興味深い。しかしその4人も右端の坂口さんは故人となって久しい。 写真のうち3人が退会し2人が故人となっていて少々さびしくなった。松井君は事故で病床にあるが会員のまま在籍し支援してくれている。それぞれ立派な年齢となったが、どこまで健在でいられるか「神のみぞ知る」である。お互い自愛したいものだ。 |
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ネットでレトロを扱うとすると百年以上の単位で考えるのが普通なのかも知れないが、ここでは一個人のものとすると数十年前のものを一応の規準と考えてみた。 小生も古希を迎えて身辺の整理の段階に来たと考えると、ようやく過去の事々が脳裏を去来する。登山界のことに限っても大きく変化した。マナスル世代の典型的なスタイルで登山を始めたものの、世界中の高峰が皆登られて初登の感動が得られなくなって、次に初登攀というのが続いた。そして現代では若年齢者と高齢者のエベレスト登山が競われている。いずれも完全な初登にくらべれば次善にすぎないのだが、けっこう世間から支持されている。これらのものと初登の登山的価値となると雲泥の差があるが、それはもはや語っても始まらないことである。 ここで取り扱うのは小生の身辺に限ったごく小規模なレトロにすぎないものだが、それでもモノクロ写真に残った映像からは何者かに熱中していた時代の姿が鮮やかによみがえる。登山の装備も大変化した。が技術が全ての分野で進歩しか、という段階となると、むしろ退化した部分もあるようだ。 初回に取上げる写真は1968年だから、小生の30歳のとき、大峯の旭ノ川、舟ノ川などの谷の遡行に熱中していた時代のものだ。 その装備たるや、サブザックに綿のタープでテントなし、焚き火の脇で袋に入って寝るスタイルでロープ(当時はザイル)は6m/mの麻か化繊の貧弱なもの。これでケンスイは相当度胸が必要だ。極限までの軽量化で相棒ともめったに確保せずほとんどフリーでいくからスピードも速かった。普通二日の所を一日で抜けてしまうことが多かった。今日のようにデータ重視で、先行者のデータをなぞって行くようなスタイルではなかった。近代的な登山のスタイルよりも、むしろまたぎやサンカ、杣などの山稼に近かった、こうしたスタイルにもキラリと光る一辺の価値を見出してもらえれば幸いである。 |
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