写真集――インド・デカン高原
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 インドへの旅にはビザが必要である。先にシッキムへ行った時のビザの有効期間が6ヶ月ある。これを利用してあと2回くらい行けないかと思案している時、突然思いもしない方向からチャンスがやってきた。人の付き合いはしておくもので棚ボタ式の有利な条件に即決する。目標はインドのど真ん中、デカン高原をウロウロするプランだ。
 デカン高原は、行ってはじめて分かることだが、チベット高原の様ではなく海のような波がどこまでも広がって牧草地と畑と小高い山波と砂漠と崖岩が散在する中、小村とそれに似つかわしくない立派なヒンズー教寺院が有ったりする。
 早朝には川に人々が集まってきて水浴をする。水牛も人も他の動物も同じ行為を平等にやっている。これが本当のインドの姿である。
 不潔だ。と言うのは文明社会の認識に過ぎない。彼等はヒンズー教の教えに従って生きてきたのでありインドの自然と調和している。
 実はヒンズー教と言うのは宗教ではなく、人の生き方を示している見本のようなものなどで、実にシンプルである。仏教もジャイナ教などもその中から生まれてきたもので、他の宗教に対してもおおらかなものだ。
 シーク教、イスラム教なども同居するが、ヒンズー教が80%の国である。宗教対立でイスラム教徒がパキスタンとバングラデシュがインドを分割してイスラム国を作ったが、インド国内には現在もムスリム(イスラム教徒)は多く居る。共産党も確たる地盤を持ち、州知事などを輩出している。人口11億も居て、やがて中国を超えるのは確実である。そればかりでなく政治スタイルも中国とは正反対で、長期的に見てインドのほうが安定しており、成長すると見る人が多い。
 さてデカン高原の外周、特に西の端には古い石窟群が有る。ヒンズー教、仏教、ジャイナ教などの修行の場であり学徒僧などの居住区、学校などの跡が見られる。いくつかの石窟群とヒンズー教寺院を見てきたが、特にすごいのはアジャンタの石窟群である。ここは永い間忘れられていたが、19世紀になってイギリス人によって発見されたという。窟内には色彩豊かな仏画が残っていて圧巻である。
 エローラの石窟群は、ヒンズー教、仏教、ジャイナ教のそれぞれの領域があり、時代を越えて利用されてきた開かれた聖域である。
 石窟ではないが、注目されてきたヒンズー教寺院にカジュラホがある。エロチックな像が寺院建造物一面に彫刻されていて一部の人には不快に思われるが、そうではない。これこそヒンズー教の言葉なのであって、よく理解する必要がある。チベット仏教の内にもこの様な精神が生きている。つい先のシッキムのペマヤンツェのゴンパにも、同様の見事な壁画を見た。巨大な壁面に鮮やかな色使いで神々のセックスを描いている。ここのゴンパは料金を取るが必ず見て置くべきで、日本人は仏教徒だから宿泊可能だという。つくづくとヒンズー教と仏教との類似点の多さに驚くのである。
 デカン高原は他にも有力な寺院が多いが、観光の対象としては重複する部分が多い。高原の中央部にもヒンズー教寺院が多いが交通の問題で困難だ。車をチャーターするより他ない。独行の日本の若者に何人か出会ったが、彼等は1〜6ヶ月の単位で旅行をしている。公営のあの気の遠くなるようなバスに幾時間も揺られ人と動物たちの喧噪の中を耐え忍んで自然の流れに身をまかせていく、ヒンズーの世界マンダラを理解できる人しか出来ない旅行である。小生は歳を取りすぎた。日本国内なら現在もそれをやっているが、とてもインドやチベットでは無理というものだ。もし小生も、例えば若く身内の者の心配が無い条件が揃うのであるならば、間違いなく彼等独行貧乏旅行者の端に居るはずである。
 インドは実に面白い。特に北部はこれからの狙いである。(2006.2.15〜2.26)

●参加者
 西尾寿一ほか
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左上=アジャンダ石窟仏教寺院群  右上=カジュラホ(ヒンズー教寺院)
左中=アジャンダ  右中=エローラ(仏教)
下=エローラ(ジャイナ教)
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 写真集――地中海の島の旅
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はじめに
 イタリアならローマ、ナポリかトスカーナ地方、北部、ミラノ、ベネチアとなるが、例によって辺境好きは凝りに凝って、シシリーとサルデーニア島となり、更にその北にある仏領コルシカ(コルス)島へ気が行ってしまう。その中心がサルデーニア島であった。
 地中海の代表的なこの三島は、フェニキア人のカルタゴ時代からローマと争い、近代には仏・伊・英・独などと目まぐるしく変化した。その割にこの島の情報は伝わってこないのは極東の島国のせいなのか、やはり欧州でも辺境の部類に入るのかもしれない。
 シシリー島は温暖な気候でローマ時代の遺跡が豊富で、この島だけで10日間くらい必要だし、サルデーニアとなると更に1ヶ月は必要となる。自然の豊かさ、山岳美と素朴な人情と、欧州でもスペインの田舎のように好ましく思える。しかし、それゆえ英語が通じ難く、「湯が欲しい」が、ホット・ウォーターでは通じない。容器をもって来たり、水そのものだったり悪戦苦闘して、やっとイタリア語の「アクア・ボランテ」を教えてもらったりした。
 コルシカ島となると、ナポレオンの生まれた島という程度の予備知識しかなかったが、仏語しか通じないし、もっと素朴である。
 ホテルの料金トラブルなどあったものの全体としての印象は悪いものではなかった。
 しかしながら言葉の困難は苦痛ではない。トラブルは事前学習せず、いきなり現場へ行く方に責任がある。
 三島の山岳はアルピニストがめざすような山ではないが、岩山と緑と山村の特異な姿は充分魅力的である。特にコルシカ島は学校の庭に人工岩壁があり(特大で立派なもの)、登山の社会的地位は高いものがある。キャニオニングも本家らしく、ホテルに案内がある。ガイドを紹介するという。もし今後時間がゆるされるのなら、これらの島を再訪してみたいと思うし、その時はもっと長いスパンで楽しむつもりだ。(2003.2)

●行程
 ローマ―パレルモ―アグリジェント―セリヌンテ―トラバーニ―カリアリ―ヌラーデ・アッルビウ―アルバタツクス―ヌオーロ―オリスタ―アルゲーロ―サツサリ―ボニファシオ―サルテール―アジャクシオ―コルセ(ヴァヴリオ)―カサモッサ―ジェノバ―ピサ―ローマ
●参加者
 西尾寿一・吉田初枝・河村文子
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左上=シシリー島・アグリジェンド遺跡  右上=サルジーニヤ島・カリアリからアルバタックスへ
左下=コルシカ島・コルセー(ユルテ)の砦頂上からコルシカアルプス
右下=コルシカ島・コルセーの学校にあった人工ロック
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 写真集――北アフリカ・モロッコを歩く
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 北アフリカはサハラ砂漠の南側のいわゆるブラックアフリカとは全く異なる地域である。
 古くはフェニキア人やカルタゴを中心として発展した土地であるし、その後はローマ時代に無数の石造建築物が残された。
 更にイスラム勢力の支配下となると全く異なる文化が押しよせ現代に至っている。
 文化の質の全く違う勢力の支配によってモザイクのように質の違う文化がまじりあった特徴的状態が北アフリカ全般に指摘される。
 旅で行き易いのは、エジプト、チュニジア、モロッコで、最も困難なのは、シリア、アルジェリアであり、入国できないわけでないが、不自由を強いられる国だ。
 前者の国々は共通して北部で温暖な地中海形の気候に対し、南部は砂漠で、ベルベル人が住んでいる。このベルベル人の砂漠に適応した生活システムがおもしろいのである。ローマ遺跡はそれに次ぐ。
 登山では、有名なトウブカル山(4165m)のツアー登山が組まれているが、他にもエアシ山(3737m)をはじめ東部に興味深い山々がある。トウブカル山だけで満足して帰るにはもったいないのだ。他にもトドラ渓谷の岸壁群はフランス人のクライマーのゲレンデとなっている。
 モロッコの登山は政情安定して物価も安いので1ヶ月程度、腰をおちつけて様々なタイプの山を登って行くのがベストだと思う。(2001.3)

●参加者
西尾寿一・吉田初枝 ほか2名
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左上=メディナのスーク(市場)  右上=マラケシュからロルザザードへ
左中=高いアトラス山脈を越える  右中=オアシス都市・テイネリール
左下=トドラ渓谷の入口  右下=サハラ砂漠のなかのベルベル人のテント
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 写真集――スイス・イタリア・オーストリア・クロアチア・スロベニアの旅
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はじめに
 小生の旅のコンセプトは、複雑で怪奇で、容易に理解し難いカオスの巷、ということになるだろうか。人が逃げたくなるような所、嫌がる所には、いったい何がかくされているのだろうか。それはジャーナリストが好む容易に情報が入手し難い危険との綱渡りのような場所という意味では決してない。
 表面上は単純でも長い歴史からみておそろしく奥の深いなにかがかくされていて、それを人々は見逃したり、嫌がったりして遠ざけている状態の場所、と言ったらよいだろうか。むろん、このような難解な表現で人が納得するはずもない。だから小生は鋭い臭覚をもってそうした場所へ出かけて行くことになる。
 自分の得心が得られるまで、そうした旅は続くことになるが、はたしてどんな結果となるだろうか。
 この度の旅も平凡なルートではない。人々はスイスとなれば、アルプスの真中をめざすに違いない。しかし小生のようなヘソ曲りはそれでは納得しない。スイス(ベルニナ)からイタリアへ、ミラノ、ベネチアとなれば観光地の遊行となりそうなのを、足は更に東へ向いて、スロベニア(デイナル)からクロアチアへと向かってしまう。バルカン紛争が終わってなお、クロアチアでは山間部に地雷が埋まっているので山歩きはできないのだ。
 スロベニアからオーストリア(チロル)に入り、再びイタリアのドロミテの真中に入る。更にオーストリアのチロル地方に舞いもどりスイスに入って帰国するまで国境地帯を何度も通過するが全く変な旅である。
 夜おそくまで宿探しで苦労したこともあったがヨーロッパならではの治安の良さで多くの住民に助けられた。彼等はけっして困っている人間を放置しない。
 できれば旧ユーゴの諸国に入りたかったがそれは次の機会とした。(2000.10〜11)

●行程
 チューリッヒ―ダボス―サンモリツ―ベルニナ峠―テイラノ―ボルミオ―ステルビオ峠―コモ湖―ミラノ―ベネツィア―トリエステ―リエガ―スプリト―ザグレブ―リュブリアナ―リエンツ―コルチナ・ダンペッツオ―カナッツイ―ボルツアーノ―メラーノ―ブレンネル峠―インスブルック―ランディック―サンクト・アントン―チューリッヒ
●参加者
 西尾寿一・吉田初枝 ほか2名
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左上=ベルニナ山塊  右上=ステルビオ峠から北望。3000m級の峰々が並ぶ
左中=クロアチア・サダールの町と教会  右中=ブレッド湖の岩上の古城と島にある教会
左下=ドロミテの岩山(サツソ・ルンゴ)  右下=イタリア北部・ボルツアーノの落ち着いた街
中央下=オーストリア・イン川からみるドイツアルプス
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 写真集――ヨルダン・シリアを歩く
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 この旅は関空からローマへ直行し、ヨルダンのアンマン空港でビザをとり入国した。日本国内でシリアのビザをとっておく必要あり。ヨルダンは予想したよりはるかにおもしろい国で伝説、伝承のたぐいが山ほどある。
 モーゼのネボ山にも登り死海を訪ね、南部のペトラ遺跡は圧巻だった。サウジアラビア国境近くは、広大な砂帯で「アラビアのローレンス」で有名な岩と砂漠の折なす不思議な風景をみる。ローレンスはこの地形をたくみに利用したのだろう。ローレンスが泊まった岩陰の小屋なども訪ねたし、不思議なことに水場も各所に湧き出している。
 シリアはアサド大統領の写真がやたら貼られて独裁的な政治が行なわれている証明となるが、サングラスの男が横に居て、これが現大統領でジュニアだった。早くから世襲のレールを敷いていたのだ。我々が帰国して一週間ほどして大統領が死んだと報じられたから、このとき病院だったと思われる。
 シリアはユーフラテス川の彼方はイラクで、何かと関係がとりざたされる国であるが、地政的にも無関係では居られないのだ。
 パルミラ遺跡は広大で、日本の村山元総理が訪ねて援助資金を約束したらしいが、これを修復するのは大変な資金が必要で無理だろう。私達はユーフラテス川岸から川を遡ってトルコの手前で西進しアレツポへ抜けたが、緑の多い小麦畑が広がっている豊かな土地である。シリアの西半分は人口の大半が住む所で物品も多く、かつてのフェニキア人の末裔と思われる西欧人を思わせる人物も多い。アサド氏もこの系統とみられる。イスラエルを囲む紛争のたえない土地ながら、旅行者は比較的安全なように感じられた。ただイスラエルから入国する場合は、例のイラクで殺された若者のように、それなりの覚悟が必要である。(2000.5)

●参加者
 西尾寿一・吉田初枝 ほか2名
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左上=ペトラ遺跡入口にて  右上=ワッディ・ラムの岩峰。まるで城塞のよう、クライミングガイドも居る
左中=死海。確かに人間は浮く  右中=パルミラ遺跡
下=ヨルダン西部の荒地
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左=ハマネは古い町。名物の水車  右=ハマネの古城を巡る迷路
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「西尾寿一の部屋」へ戻る
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「私の空間」へ戻る
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